Arcadia -私家版Wizardry- #03 “Suburb”
サイレンが鳴った。柱時計の針は十二時を指していた。
訓練場から退場する。やっぱり違和感を覚えた。五感が鈍る。四肢に鉛が詰め込まれたようだ。身体能力が通常に戻っただけだということは頭で理解できるのだが、どうしても身体が衰えたような気がしてしまう。慣れるには時間がかかりそうだ。桜さんも吾妻さんも平気な顔をしていた。僕とは物が違うようだった。
四十分の休憩ということになった。志願者たちに弁当が配られる。三人で雑談に興じながら昼食を摂ることにした。口火を開いたのはやはり吾妻さんだった。
「で、お前らはどんな職業に就くつもりなんだ? 魔法使いだと俺とダブるからちょっとは考えてくれよ」
「特に、これといって志望はないですね」と僕は答えた。「まずは試験をパスすることだけしか頭にありませんよ。桜さんは?」
「私は戦士かな。実家が古流剣術を伝えているから少しは役に立つかも知れない」
そう言った桜さんの背筋はまっすぐに伸び、箸使いも無駄の無いきびきびしたものだった。胸元のナンバー445のプレートは微動だにしない。思い返せば、桜さんは最初の出会いからずっと目線を正面に据えていた気がする。武道を習っていると言われてもすぐに納得できるような所作だった。こちらの姿勢まで正しくさせてしまうような雰囲気をあたりに醸し出していた。
「じゃ、桜の実家は神社か何かか?」
「そうですけど、よくわか……」
「すげ……! すっげ! 巫女さんキャラが目の前にいるよ!」
質問の答えに吾妻さんが心持ち仰け反りながら絶句していた。
「はいはい吾妻さん、白衣に緋袴をミックスさせた桃色ファンタジーを脳内で満たすのは一人のときにやってください」
僕の突っ込みを受けて吾妻さんは冷眼を向けてきたが口では何も言わなかった。図星だったのだとしておこう。
「トロピカルピーチ妄想はさておき、なんで桜さんの家業が判ったんですか?」
「なら言うなよ、全く。半分は当てずっぽうだよ。日本の剣術の源流は関西の京八流と関東七流だろ? で、後者の発祥の地は鹿島神社だからな。神道流や念流、陰流の三派は鹿島から派生している。ついでに言えば、名前だけなら今でもそれなりに知られている塚原卜伝はそこの神官卜部氏の出身だ。
それと桜がさっき“伝えている”と言ったからには一族との結びつきはそれなりに強いと思った。そういうわけで神職の可能性はそう低くないと踏んだんだ。そして最後に」
最後に? 僕と桜さんの視線での質問に吾妻さんは答えた。
「その方が萌えるじゃないか」
そう言ってのけた吾妻さんは今まで見た中でもっとも真面目な顔つきをしていた。
休憩の後、再び訓練場に集合した。仮設テントの長椅子の上にはアンケート用紙のようなプリントが置かれていた。日本語と英語が併記されていた。
司会者が演壇に上がった。背丈は僕と同じくらいだろうか、そんなに高くはなさそうだった。年齢は四十がらみ。髪を七三に分けて眼鏡を掛けていた。やや丸顔で、柔和ではあるが特に意味のなさそうなアルカイックスマイルを浮かべていた。外国人がカリカチュアライズして想像する日本人サラリーマンそのものといった感じだった。胸元の名札には椎名と記されていた。
「これから皆さんにいくつかのアンケートに答えていただきます。参加者の性格を決めるための心理テストです。質問の内容はどこででも見られるような性格診断ですから心配は要りません」
次に英語で何か言っている。たぶん同じ内容を繰り返しているのだろう。性格診断をする必要なんてあるものなのかと訝っていたが、それを見越したかのような解説をしてくれた。僕と同じような疑問を抱かれることに慣れているのだろう。
「魔物は時には友好的な対応をしてきます」
なかなか奇想天外なことを言い出した。周囲から笑声が飛ぶ。
「友好的とは申しましたが、別に魔物が諸手を挙げてやあやあ本日はお日柄もよくと親しげに話しかけてくるわけではありません。魔物は自分の腹具合や我々の戦闘力などを勘案して、場合によっては冒険者を視認できる距離にあってもあえて手を出して来ないときがあるのです。友好的な対応とは便宜的な呼び方に過ぎません。
そんな時、戦端を開くかどうかの選択権は冒険者の側に移ります。無用な殺生は避けるか、目に付いた敵は確実に仕留めるか、それともどちらでもいいか。迷宮でいちいちその判断を下していたのでは性格の違うメンバーの主張のせいでパーティーが分裂してしまうし、その果てには全滅の危険性さえあります。だから最初に性格を分類しておいて相反する性格の人間とは組ませない。このアンケートは無用なトラブルを避けるためのものです。
なお性格には善と悪、そして中立があります。善と悪とは性格が違うのでパーティーの編成は許可しません。中立は善悪どちらと組んでも結構です」
善悪と言いましたがこれはあくまで分類上の呼称であってこれがそのまま人としての本性を決定するものではありません、と最後に付け加えた。
後で聞いた話だが、さすがに悪にカテゴライズされた人たちは愉快ではなかったらしい。定義付けが必要なのは認めるが、せめて善悪という呼び方は改変しろと何度も抗議を行ったそうだ。自分の都合で騒ぎを起こせるあたり、確かに悪だと納得した。
とにかくアンケートに取り掛かった。文章が青白く発光していることと、YesかNoかにチェックした端からその文章が消えていく点が凡百のアンケートとは違っていた。これが魔法か、と感心しないでもないがそれ以上に無意味な虚仮威しだという印象が強かった。最後の質問に回答し終えると用紙から全ての文字が消え、やがて中立――Neutral――という二つの単語が浮かび上がってきた。
見ると桜さんも吾妻さんも中立だった。他の人たちとパーティーを編成するときには融通が利きそうだ。
職業の説明に移った。
「ご存知の方も多いでしょうが、冒険者の方々には八つの職業のいずれかに就いていただきます。そのうちの四つの上級職については、この場合あまり意味がないので省略して基本職についてだけ説明させていただきます。
戦士、魔法使い、僧侶、盗賊。この四つが基本職です。戦士は物理的な攻撃やパーティーの壁を務めます。魔法使いと僧侶はそれぞれ魔法による攻撃と補助を行います。盗賊は少し特殊で、魔物たちが隠し持っている宝物を安全に入手するという仕事があります。
冒険者の方々は迷宮ではパーティーを組みます。だいたい六人一組で、前衛と後衛に分かれています。前者を戦士が、後者を魔法使いと僧侶が務めます。盗賊は普通なら後衛なのですが、パーティーの事情によっては前衛に配される場合もあります。
ここで銘記していただきたいのですが、パーティーの強さは総合力にあります。戦士だけとか、魔法使いばかりのパーティーは自殺志願者の集団と変わりがありません。バランスが重要なのですね。戦士二人、魔法使い一人、僧侶一人、盗賊一人。この五人が基本でしょう。戦士を増やすかそれとも魔法使いかは好みによるのでしょうが」
一時になった。ようやく本格的な審査が始まる。
志願者たちに装備品の一揃いが配られていく。その内訳は半球形の鉄製の帽子、やたらポケットが縫い付けられた迷彩チョッキ、四つのポーチがくっついたサスペンダー、パンパンに膨らんだリュックサックだった。どれもこれも充分以上に使い込まれていた。あちこち塗装は剥げているし、綻びも目立った。しかしかなり丈夫な作りをしているらしく、乱暴な扱いにも耐えられそうだった。僕たちは指導員の説明に従って身に着けていった。見た目よりもずっと重かった。ポケットの中を覗いて見たら、ご丁寧なことに鉛の棒がぎっしりと詰め込まれていた。身体だけでなくて心まで重くなりそうだった。ポーチやリュックサックは推して知るべし。総重量は50キロだそうだ。その場に突っ伏してしまいそうになった。
司会者が壇上から説明し始めた。
「まずは皆さんの基礎体力とマナの相性を調べさせてもらいます。訓練場の周囲でマラソンをしてください。きっかり一時間、足を止めればその場で失格ですから注意してくださいね。ああ、もちろんさっき配った装備品は残らず身に付けておくように」
こりゃ死ぬなと観念した。
僕の後ろから椅子が倒れる音がした。見ると知らない志願者が立ち上がってクレイジーとかガッデムとかシットとかファッキンとかブルシットとかマザーファッカーとかいった素敵な英単語を連発していた。浅黒い肌をした縮れ毛の外人だった。図体は縦にも横にも大きかった。しきりに罵倒を続けていたが司会者が黙ったままでいるので侮蔑したような顔で彼に詰め寄っていった。演壇に上がり込み、吐き散らす唾が相手の顔にかかるほどに近づいた。並ぶと大人と子供のようだった。司会者はにこやかな笑顔を浮かべながら相手の肩に左手を置き、空いた右手で強烈なボディブローを見舞った。外人の足元が10センチは浮き上がった。腹回りのぶ厚い筋肉と脂肪がなければ内臓が破裂していてもおかしくないような一撃だった。司会者は相変わらず笑顔のままで泡を吹いてくずおれた外人を片付けるように指事を下した。
「えー、はからずもマナの実用性を実演することになりました。見ての通り、私の体型は同年代の一般人のそれと変わりません。格闘技の素養もありませんし、冒険者の試験をパスしたわけでもありません。ただこの訓練場に顔を出す機会が多かっただけですが、それでもさっきのような非常識な能力を発揮できます。
あと元気がいいのは結構ですが、司会の進行を妨げるような行為はご遠慮願います。さて、マラソンを始めてもらいます。質問があったらいつでも訊いてくださいね」
質問はなかった。あるはずもなかった。司会者はなんだか物足りないような顔をした。
長距離走が始まった。しかし走り出してすぐに身体が軽くなっていった。ランナーズ・ハイではなさそうだ。どれだけ経っても疲労をほとんど感じない。マナとは便利なものだと感心したし、同時にさっきの名前も知らない外人さんは殴られ損だったなと同情した。
周囲を見回してみると、脱落者は少なくなかった。吾妻さんはマイペースに走っている。桜さんはどうだろうと探していると、後ろから追い抜かれた。その顔には汗一つ浮かんでいなかった。とてもかないそうになかった。
周回数の多さで順位が決まった。トップは桜さんだった。参加者たちはどよめいたが試験官たちは涼しい顔をしていた。これくらいだと迷宮都市では非常識のうちにも入らないのだろうか。ちなみに僕はだいたい真ん中。吾妻さんは後ろから数えたほうが早かった。
次の審査からは順位ごとに分かれることになった。遠投、握力と背筋の測定、100m走の順番だった。どれもこれも自己新を記録するどころか世界記録を更新してしまいそうな勢いだった。最後の100m走で10秒を切ってしまったときにはもう笑うしかなかった。そして全く同感だという顔をした試験官に殴られた。
次はマナの運用のセンスについての査定を受けることになった。内郭に隣接した建物に案内された。中世ヨーロッパの神殿を連想させるその外観には漠然とした不安感と昂揚感を同時に覚えた。構内の一部屋に進んだ。粛然と身が引き締まるような神秘的な空間だった。中央に靄のような球体がわだかまっている。マナを媒介にしたエネルギーの揺らぎだと説明された。無色透明だったがその向こうの背景は不自然に歪んでいた。光の屈折かなにかの関係なのだろう。
志願者にスケッチの用具が配られた。写生しろとのことだった。最初はただの靄にしか見えなかったが、仔細に観察しているうちに変化が生じた。陽光を浴びた油膜のように色がつき始め、やがて青紫のような色調で固定した。その色にも濃淡の違いが見受けられた。エネルギーの流れというやつだろうか。とにかく見たままに描き上げた。
次にマナを操る段階に移った。順番に手で触れるように命じられた。この靄を拡大、縮小しろという。頭の中でイメージすれば簡単だとアドバイスされた。本当だろうか。誰もが恐る恐る手を伸ばしていった。まるで変化がない場合もあれば、部屋全体にまで拡散したりゴマ粒一つくらいに収縮したりした場合もあった。
僕に順番が回ってきた。無造作に触れる。流れる温水プールに手を突っ込んだような感じだった。拡大。縮小。基準はよくわからないが、前の人たちから判断すれば可もなく不可もなくといった成績だと思う。
その後は大部屋に移動した。学校の教室のようだった。席について筆記試験を始めた。知識よりも知能を要求される内容だった。1,1,2,3,5,8,13,a,34,……のaを求めよ、といった具合の問題が多かった(これはフィボナッチ数列といって黄金比に深く関係する数列だと後で吾妻さんが訊かれもしないのに解説してくれた)。
解答用紙が回収されると次は正面の壁に地図が張り出され、記憶しろと言われた。三分経って地図が剥がされ、白紙が配られた。さっきの地図をできるだけ正確に写せと命じられた。今度は記憶力のテストだろうと当て推量しながら描いた。
これで試験は全て終了したことになる。外に出るとすでに薄暗かった。試験会場に戻って全ての項目が埋められた採点表を提出した。担当の面接官がたいしたもんだと口笛を吹いた。
「君はバランスがいい。三つの職業から好きなのを選択できるんだからな。性格が中立じゃなかったら僧侶にもなれたぜ」
「戦士か魔法使いか盗賊か、ですね」
「そうさ。採点表を見ればどうやら戦士が適任のようだ」
僕がどの職業に適しているかどうかはあまり問題ではない。パーティーの強さは総合力なのだから。そして桜さんは戦士を、吾妻さんは魔法使いを志望している。だったら僕の選択は決まっている。
「盗賊を」
面接官はなにか言いたそうな顔をしたが、結局は黙った。
なんにせよ冒険者としての適正試験には合格できたわけだ。これから先の二週間は訓練学校でのシゴキが待っている。漏れ聞いているところの過酷な訓練を想像して気を重くしていると、試験官たちが奥で固まって小声で囁きあっていた。その表情からトラブルではないがちょっとしたニュースを受け取ったとわかる。
「なにかあったんですか?」
「侍だよ」と、僕の担当だった試験官が答えてくれた。「今回、エリートクラスに合格した志願者が一人いたんだ。これで侍は五人目だ。一人は死んでもう一人はここから去っていったから、都合三人の侍がいるってことだ。しかも驚くなよ、そいつは女だってんだ。名前は知らないが……」
「ナンバー445、ですか」
「ん? ……ああ、当たりだ。知り合いか?」
「おかげさまで」
- [2007/04/10 23:48]
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Arcadia -私家版Wizardry- #02 “Cherry Blossom”
時代錯誤な印象さえ受ける巨大な門が物々しい響きを上げながら開いていった。その隙間から覗く迷宮都市は、これといって特別な印象を与えはしなかった。そこらのありふれた地方都市とそう変わらない町並みのようだった。桜並木の奥にそびえ立つ隔壁を除けばの話だけど。
ぼんやりしていると後ろからどやされた。我に返ると前方の列が移動していた。慌てて門を潜る。内部は思ったよりも奥行きがあった。採光に意を払っていないのか、やや薄暗かった。
喧騒の中、受付に進んで身分証明書や履歴書やその他もろもろの書類を提出した。係員は僕の顔にしばらく視線を止めてから年齢を訊いてきた。またかと思いながら十五と答えた。こんな子供の名前まで石碑に刻まれることになるのかね、とよくわからないことを呟いきながらこちらを凝視していたけど、僕の後ろの列を見やってから書類に目を通し始めた。十秒と経たずに確認し終わり、都市内に入るように僕を促した。
志願者の群れに混じって構内から出た。春の日差しに目を細めていると、出口の両側から死角になっていて見えなかったレポーターたちが電子機材を抱えてこちらに駆け寄ってきた。たちまち前がつかえて周りの罵声交じりのざわめきが耳障りなほどに大きくなったが向こうは道を譲る気配さえなかった。
係わり合いになりたくないので俯き加減に雑踏を擦り抜けて脱出しようとした。が、向こうも商売なので見逃してはくれなかった。一組が覆い被さるように進路をふさぎ、こちらの承諾も得ていないのに無遠慮にマイクを突き出しながら一方的に質問を畳み掛けてきた。君も殺し屋志願なのですか、が第一声だった。
「なぜわざわざ平和に暮らしている生き物たちの世界に土足で踏み込もうというんですか?」
あなたたちの方こそ他人のプライバシーに土足で踏み込んでいる、とは言わないことにする。
「確かに迷宮では大金が稼げるよ。それこそ仕事熱心なら月数百万だって夢じゃない。でも我々に迷惑をかけるわけでもない生き物を殺して、そこまでしていったい何を得ようというんだい?
……黙ってちゃ分からないよ。こっちには知る権利があるんだ」
相手の望んだ通りの答えを言わないので、その口調は次第に傲慢なものに変わっていった。僕は僕で口を開けばどんな言葉が飛び出すか自分にも判らなかったので、馬鹿を演じることにした。質問の内容も理解できないというような曖昧な薄ら笑いを浮かべ、少し困ったような色を挿む。
それでも向こうはこっちの意図を知ってか知らずか、なかなか解放してくれそうになかった。そろそろ本当に困りかけてきた。どうやって切り抜けようかと頭を悩ませ始めていると、
「悪い、待たせた!」
と後ろから女性の声が聞こえて左腕を取られて強引に引っ張られた。そのまま抗議する暇もなく早足で連れて行かれる。レポーターたちも突然の事態に呆気に取られて僕たちを追おうという気も起きないようだった。
人込みから抜け出てからもしばらく歩みを止めず、僕は目の前で揺れるポニーテールを眺めているしかなかった。正門から充分に距離をとると、彼女は急に立ち止まってからくるりとこちらを振り返った。ちょっと驚いた。面識はなかったが、面識がないことが悔やまれるような容姿をしていた。
こちらを興味深そうに観察している涼しげな目は、その上のアーチ眉と同様に描いたようにくっきりしていた。高い鼻は強い意志を感じさせ、やや薄いが形よく整った唇と好対照を成している。それらが鋭さを想起させる寸前で、必要最低限の女性らしい丸みにくるまれていた。凜とした、という形容がぴったりくる美人だった。視線を合わせるのにちょっと見上げなければいけないから身長は170を超えているだろう。年齢は若い。どう見積もっても僕より二つ三つ上なくらいだ。
そんな女性がバッグを突き出してきた。こちらは見覚えがある。というか、僕のだ。そこで初めて肩の軽さに気づいた。
「受付の足下に置き忘れていたぞ。で、届けてやろうと思ったら持ち主は門を出てすぐの所でつかまっていた。迷惑そうだったから知り合いの振りをして連れ出したんだが、いらない御節介だったかな」
「とんでもない、助かりました」
「ならよかった」
ちょっとした遣り取りの後、なんとなく二人で連れ立って歩くことになった。迷宮都市の住人たちから注目を浴びる。陳列棚の商品を値踏みするような視線だった。揶揄するような色はない。新参者とはいってもその中に自分たちの仲間になる人材がいるかも知れないのだから、視線が厳しくなるのも当然だろう。
「ところで君は、マスコミとか嫌いなのか」
「嫌いというより苦手なんです。できればお近付きになりたくない人たちですね」
「だったらはっきり主張するべきだ。笑うばかりで黙っていたのでは何も変わらないぞ」
難詰というよりは世慣れない弟をたしなめるような響きだった。はあ、と生返事するしかない。すると向こうは全く仕方がないというふうに眉をひそめた。人差し指で僕の額を軽くつついてくる。
「だいたい君はいくつなんだ。十五か、十六か? とにかくこんな所に一人で来るような年齢ではないだろう」
今日はよくよく歳を訊かれる日だ、と呆れながらも素直に答えた。
「十五歳です」
「やっぱり」
「そう言うそっちはどうなんですか。見たところ、僕とそんなに差はないみたいですけど」
「来月で十八になる。しかし私の場合は構わないのだ」
理不尽だ。と思ったが、向こうは好意で言ってくれているのだろうから口にするのは止めた。
「そもそも君は迷宮都市に何かツテでもあるのか」
「それが全然」
そんなことだろうと思った、と彼女は大きく溜息を吐いた。そして一転して明るい表情になってからこう言った。
「これも何かの縁だ。実のところ私にも仲間の当てはない。もし二人とも合格したら、一緒にパーティーを組まないか?」
「ええ。悪くない、いえ、願ってもないお誘いです」
「決まりだな。それに君みたいな子供には保護者が必要だし」
第一印象がまずかったせいか、どうも子供扱いされてばかりいる。
「ならここで自己紹介しておきます。僕は南野仁。苗字でも名前でも、好きなように呼んでください」
「では、仁と呼ぼう。シンプルだが君に似合ったいい名前だ」
そう言って微笑した。こんなにきれいな笑顔を見るのは初めてだった。思わず胸が熱くなる。
……オーケー。表情には出ていない。ポーカーフェイスには自信がある。
「そいつは光栄ですね。感激の涙で溺死してしまいそうです」
「素直に喜んでくれないかな。本音なのだから」
「こっちも本音ですよ。で、そちらの名前は?」
急にぶすっと黙り込んだ。ややあって「さくらだ」と小さく答えた。いい名前じゃないかと素直に思った。むしろ桜咲く並木道での自己紹介としては出来すぎじゃないかと思えるほどだった。口に出してフォローもしたけど反応は返ってこなかった。結果、二人して黙りこくることになり、歩いているうちに内郭に到着した。
前も言ったが、この都市は二重の隔壁がある。外壁と内郭だ。それぞれ外部からと内部からの市街地への侵入を防ぐために建設されている。外壁は不法入国者から、そして目の前の内郭は魔物からだ。
迷宮都市を扱った報道番組などではこの点がよく問題視される。外国人と化物を同列に扱うのはいかがなものであろうか、“機構”のエゴイズムを非難するべきではないか、という論調が大勢を占めている。
内郭にもやはり城門が設置されており、それを二基の尖塔が挟んでいる。その頂上には機関砲や対物ライフルが備え付けられてその銃口を迷宮に向けていると聞いた。
門のすぐそばの受付に進んで書類を提出した。代わりに一枚の誓約書が差し出された。試験中には何が起きても一切の責任を負わないという内容だった。まるで傭兵の訓練キャンプだなと思いながらサインした。誓約書を返すと番号札が突き出された。覗き込んできた桜さんが顔をしかめる。ナンバー444。縁起の悪さがフィーバーだ。口笛でも吹きたくなった。
内郭の門を通過した。すると途端に違和感を覚えた。身体が浮き立つような感じがするけど、同時に腹の底に異物が溜まっていくようにも感じる。周囲を見渡すと、目元をほぐしていたりしゃがみこんでいたり壁に寄りかかっていたりしている人たちが見受けられた。彼らの姿にしても、不自然に鮮明になったようで、そのくせなにを意味しているのかうまく理解できない。経験はないが、酒に酔うなり麻薬を嗜むなりすればこんな感じになるのだろうか。気分がいいのか悪いのか、それすらよくわからなかった。
「ふむ。これがマナか」
隣から聞こえた。桜さんの声なのだろうが、別人の声のようにも響いた。頭の奥がぼんやりしているのを自覚しながら仮設テントのベンチに座り込んだ。身体から力を抜いて深呼吸を繰り返す。次第に本調子に戻っていくようであった。
左から紙コップが差し出された。受け取ってドリンクを飲み干す。冷たさが胃に染み込んでいく。ようやく人心地がついた。視線を送って、礼の言葉がのどに詰まった。相手は桜さんではなくて見知らぬ青年だった。頬骨が目立つ、やせぎすの顔立ちだった。断りも入れずに隣に座ってしまったらしい。桜さんは右手にいて、僕の顔を心配そうに覗き込んでいた。
失礼しました、と頭を下げると相手は手をひらひらと振った。
「気にするな。どうせドリンクはタダだし、マナに当てられればたいていのヤツは前後不覚になるらしいからな」
「マナ」
さっきも聞いた単語だった。
「そうさ。ここに来るくらいだから知ってるだろ?」
「もちろん。鋼鉄のガールフレンドでしょう」
「ちげーよ。そりゃ霧島マナだ。そんな古いネタ、よく知ってるな」
「じゃあ、セイバーにとってのアルトリア。アーチャーにとってのエミヤ」
「おい。それだと真名だ。どう見ても十八歳未満のくせになんで知ってるんだよ」
「それなら『出エジプト記』で砂漠を放浪するイスラエル人に神が与えた食べ物。カイガラムシとかの甘露だそうです。私見ですが『指輪物語』のエルフの焼き菓子レンバスの元ネタでしょう」
「あのなあ。そいつはマナ。いや確かにマナはマナだがマナ違いだ」
「だったら、メラネシアやポリネシアで見られるプレ・アニミズム信仰。善悪を超越した非人格的な超自然力。森羅万象に宿って異力を発揮する呪力。迷宮付近で計測された正体不明の素粒子の名前に使用されています」
「いい加減にしろよ。それはマナだ、……ってそれだよ、そのマナだよ! やっぱり知ってるんじゃないか!」
食って掛かられそうになったが、その間に桜さんが割り込んできた。
「漫才は終わったか?」
冷ややかな視線を向けられた。寒い。誰だこのすげぇ美人、紹介しろよと青年につつかれた。痛い。
相手は吾妻翼と名乗った。年齢はちょうど二十歳だという。その口振りから察するに、迷宮についていろいろ詳しいらしい。マナについての講義を拝聴することにした。
「暇つぶしにはちょうどいいだろう。なんせたっぷり二時間は座っていなくちゃいけないからな。といってもこれは休憩じゃなくて適性検査のうちだけどさ。さっき気分が悪くなっただろ? むしろ結構なことなんだぜ。身体がマナに反応している証拠だからな。と言ってもぶっ倒れたり不調を訴えたりしたらアウトだけど。俺やそっちの桜みたいに不感症だと、よっぽどマナと相性がいいのか、さもなきゃまるで縁がないかのどちらかだ。もちろん前者であってほしいがね。
マナについての詳しいことは俺も知らない。なんせその代名詞からして、さっきお前が言ったように“正体不明の素粒子”ときている。質量がゼロだとか物理的な干渉を受け付けないとか絶対座標に固定されているとか、なんだか知らんがとにかく一般人には見当のつかないような性質をいくつも持っている。もっとも、冒険者にとって重要なのはマナがどんなふうに役に立つかの一点に尽きる。正体の解明は科学者に任せとけばいい。
マナを媒介にすればいろんな非常識の実現が可能だ。その代表は、知っているだろうが魔法だ。炎を熾したり冷気を呼んだり傷を癒したり光を輝かせたりといろんな奇跡をお手軽に現出できる。もっとも信仰じゃなくて技術と経験の産物だけどな。
俺が迷宮都市に来た理由がそれだ。魔法だぜ魔法。神話や伝説にしか登場しないようなデタラメがこの手で起こせるかも知れないってんだから、なにを措いても飛んで行かなきゃ嘘ってもんだろ。てなわけで俺の志望の職業はもちろん魔法使いだ。こらそこ、意外とセンチメンタルとか抜かすな。
マナの利用方法は魔法だけじゃない。うまく扱えば身体能力が飛躍的に上昇する。訓練学校を卒業すればろくすっぽ陸上の練習をしなくても100mで8秒を切れるらしい。まともな短距離走者にしてみればやってられないだろうが、まあそれも訓練場と迷宮内に限定されているんだから釣り合いは取れているというべきだろ。
だけど面倒なことに迷宮の化け物どももマナの恩恵に与っている。上層はともかく、現在確認されている最下層――たしか地下四階だったな――を徘徊している大蜘蛛や甲虫のスピードは半端じゃない。大型バイクの突進並みだって聞いたぜ。
え? 魔物たちはもともと地下に生息していたって説を聞いた? 冗談はよしてくれ。そんなことは絶対にありえない。なぜって、例えばさっきの虫どもの話になるんだけど、連中のサイズは子牛ほどもある。けど、そこまで大きくなると虫の細い足だと自重を支えきれなくなるんだ。地球の何分の一かの重力か、マナが充満した環境か。どちらにせよ、地球とは違った環境で育った化け物だよ。八年前のトレボー彗星の衝突でどこかの異世界と繋がったっていうファンタジーのほうがまだしも説得力があると思うね。
マナの発信源についてだが、たぶん地下深くだろうとしか言えない。こいつはマナの濃度に関係がある。地上でマナが確認できるのはこの訓練場だけだ。そして地下に降りるにつれてその濃度は高くなっていく。学者たちの計算によれば、だいたい地下十階くらいの深さにあるらしい。ちなみにマナの発信源はワードナの魔除けというアイテムだって噂があるけど、まあ眉唾だ。噂の出所からして不明だし、その魔除けとやらを見た人間がいるわけでもないからな。
そうそう。上空から俯瞰すると、迷宮都市はちょうどドーナツみたいな形をしている。そのド真ん中が迷宮への入り口で、そこを中心にした直径およそ一キロの円の範囲内が俺たちの今いる訓練場だ。ドーナツの穴の部分だな。実の部分は市街地だ。ちなみにこの訓練場は郊外とか町外れとかとも言われる。内部でありながら外部、中央でありながら辺境ってわけだ。エリアーデもびっくりのセンスだよ。
とにかく、マナが扱えなければその時点で冒険者としては不適格の烙印を押される。魔法も使えず、身体能力も常人レベルのままでは化け物どもにはとても太刀打ちできないからな。そのへんは七年前のデルタフォースの壊滅がなによりの証拠だろう」
けっこう長い解説だった上に話がたびたび脱線した。喋るのが好きなのだろう。もっとも話し振りは巧いし内容も興味深かったので退屈は覚えなかった。
せっかくなので彼もパーティーに誘ってみることにした。
「んー、実を言えば先約があるんだよな」
「ダメですか?」
「どうかな。相手とは面識がないし。あ、相手ってのは現役の冒険者だ。話は遡るけど、俺はここに来る前に家庭教師のバイトをしてたんだ。で、一年前に担当した生徒の一人が俺よりも年上だったけど、これがもと冒険者だったってわけ。しかも一期生、つまり民間人が迷宮探索に参加できるようになった時期からの生え抜きと来た。迷宮の探索で小金が溜まったはいいものの、特にすることがない。そこで高卒だったから暇つぶしに大学を受験するんだとさ。俺としてはさっきも言ったように魔法にはもともと興味もあったから、勉強の合間にいろいろと教えてもらったんだ。さっきいろいろくっちゃべってたのは、ほとんどその人からの受け売りさ。どっちが生徒かわかりゃしないな。とにかくその人が大学に合格して、それを機会に俺は休学してここに来たのさ。あ、これは脱線じゃないぞ。ちゃんと話は繋がっているんだ。五百島さん、もと冒険者で俺の生徒兼教師だけど、この人から迷宮都市で組んでいた仲間を紹介されたんだ。別れるときのパーティーは四人構成だったらしい。つまり三人が迷宮都市に残ったんだな。それきり連絡していないそうだから、その三人が今でも迷宮都市にいるかどうかもわからないんだけど」
どうにも頼りない話だった。
「試験をパスしたらギルガメッシュの酒場、ああその人たちの溜まり場のことだけど、そこに顔を出してみるつもりさ。いたら御の字、いなくても仕方なし。ついでに言えばパーティーのメンバーはわりと流動的らしい。仮にその人たちがまだ冒険者稼業を続けていたとして、うまくいけばお前たちを含めて三人ともパーティーに参加できるかも知れないけど、もしかしたら俺一人でも弾かれるかも知れない。そんなわけだからはっきりしたことは言えないよ」
- [2007/04/03 22:44]
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Arcadia -私家版Wizardry- #01 “Welcome Stranger”
右肘に軽い衝撃を覚えて意識が覚醒した。
目の前には備え付けの大きな椅子の背中と、そこから伸びている白い小さな台。その上には空の紙コップが置かれていた。座席から微妙な振動が伝わってくる。どうやら電車に乗っているうちに眠ってしまっていたらしい。
左手の窓から外を眺めると真っ暗だった。ときどきオレンジの光が瞬く間に後ろへ流れていくので、トンネルの中を走っているのだろう。
「失礼。起こしてしまったかい」
右隣から聞こえた。首を向けると三十歳前くらいの男性がいた。銀縁眼鏡の奥から細目がこちらを窺っている。こちらに肘でも当ててしまったのだろう。その左手首に巻かれたアナログ式の腕時計を一瞥する。午前七時十五分だった。
「あ、気にしないでください。
幼馴染でこちらに好意を寄せてくれていて反自然的なまでに世話を焼いてくれて人目もはばからずに弁当を作ってくれて毎朝かならず部屋まで起こしに来てくれるような美少女に愛を囁かれながら起こされたのでないのが残念と言えば残念ですが」
「それは申し訳ない」
「あんまり感情を伴っていない返事ですね」
「それでは滂沱の涙を流しながら猛り狂わんばかりの情熱を込めて謝罪しようかね」
「全身全霊を賭けて御免蒙ります」
「なかなか注文が多い」
「そもそも一番残念なのはそんな都合のよすぎる女の子が最初から存在しないという一点に尽きますし」
「とりあえずご愁傷様と言っておこう。しかしなんだね、初対面の相手に対するジョークとしてはいささかハードルが高すぎやしないかな」
「いえいえ、貴方を一目見たときからきっと僕の期待に答えてくれるものと信じていましたから」
「生まれてこの方これほどまでにありがた迷惑な信頼を寄せられたのは初めてだよ」
やったね初体験。
さて、馬鹿と無礼はこの辺にしておこう。
「それはともかく、そろそろ起きなくちゃいけない時間だったんです。むしろこっちがお礼を言わなくちゃいけないくらいです」
「そいつはどうも。しかし君みたいな子供が始発の電車に乗っているとはね。目的地は高校の寮か何かかい?」
首を横に振った。別に説明する義理はないけど、この男性がどんな反応をするか興味が湧いた。
「いえ。僕の行き先は、迷宮都市です」
そう言ったとき、窓から闇の帳が剥がされた。トンネルを抜けたのだ。
薄靄がかかったような明け方だった。窓にはのどかな田園風景が映っている。そしてその奥に見える、青と銀の円錐。
霊峰富士。その麓に、現代に蘇った幻想が口を開けている。
今から八年前。アメリカ合衆国のとある天文マニアがいつものように望遠鏡を覗くと、今まで見たこともないし公式に発表されたとも聞いていない彗星がレンズに映っていた。新しい彗星の発見者は三人まで一般名称として自分の名前をつけることができる。彼はロバートという英語圏ではありふれた名前を持っていたので、少しひねってアナグラムのTrebor――トレボーと命名することにした(実際には国際天文連合の小天体命名委員会からの認可は下りなかったのだが、災厄の後には実名のままだと全世界のロバートさんに対して余りにも迷惑千万なネーミングになってしまったので一般レベルでは使用されるようになった)。そこで終わればどうということのない話だったのだが、残念ながらそうは問屋が卸さなかった。
トレボー彗星は大気圏でも燃え尽きずに富士山の北麓、いわゆる富士の樹海を直撃した。自称ノストラダムス研究者たちはトレボー彗星こそ恐怖の大王の正体だとこぞって主張していたが、幸いにも世界を滅亡させるに足るだけの衝突エネルギーは持ち合わせていなかった。せいぜい青樹ヶ原樹海の原始林と森林浴に訪れた観光客と自殺志願者の腐乱死体と付近市町村の貴重な観光収入をきれいさっぱり吹き飛ばすだけで済んだ。粉塵を巻き上げて太陽光を遮断するような二次災害も誘発されず、自衛隊による救助活動も始まった。永遠に失われてしまったものを棚上げにすれば、全ての解決は時間の問題と思われていた。
しかしそれは、始まりの終わりに過ぎなかった。
被災者の救助活動に当たっていた自衛隊員が奇妙な報告を行った。奇妙な、と言ったがそれは現在を知らない当時にとっては本当に奇妙な報告だった。
妖怪。この文明開化と近代化の波に浚われて根絶やしにされたはずの怪異が被災地の付近で蠢いていたという。その場所はトレボー彗星が大地に穿ったクレーターの中心部に開いた洞穴の周辺だった。後の調査でその内部は迷路のような構造になっていることが判明するのだが、とにかくその洞穴から妖怪が湧き出しているという報告だった。
実際のところ、この情報が一般に公開されたのはかなり後になってからだった。その報告を受け取った上層部は一顧だにせず黙殺したそうだ。その点について今ではずいぶんと叩かれているらしいけど、二十一世紀を目前に控えた当時の状況を鑑みればむしろ健全な対応だと擁護する声もある。
それはさておき、被災者の目撃談やジャーナリストたちの報道のおかげで世間も注目するようになった。その後は陰に陽にややこしい顛末があったようだけど、なんのコネも持っていない一般人の僕には詳しいことはわからない。僕が知っていることと言えば普通の日本人なら誰でも耳にしたことがあるような内容ばかりだった。
救助活動ではない自衛隊の出動。
正体不明の素粒子“マナ”の発見。
アメリカの介入。
デルタフォースの投入とその壊滅。
日米合同で行われた調査活動。
日本的な妖怪たちの西洋的な魔物への変貌。
洞穴を囲うように建設された研究施設と居住区画。
そして、二年前から始まった迷宮探索挑戦者の募集。
――そう。僕はその募集に応じてこの電車に乗っているというわけ。
迷宮探索の志願者と聞いた一般人の反応は、だいたい二つに分かれると聞いた。興味を抱くか、畏怖を覚えるかである。以前に級友や教員に打ち明けてみたけどけっこう的中していた。もっともたいていは後者だったけど。
この人はどうだろう、と考えていると
「トレボー要塞にねぇ。君みたいな子供まで」
と心持ち身を乗り出してきた。どうやら前者のようだ。珍しい。ちなみにトレボー要塞とは迷宮都市の別称の一つである。なお、正式名称は独立行政法人迷宮開発機構・鳴沢迷宮センターという。あまり一般的ではないし、一般的になる必要もないと思われるほどに長ったらしい名前である。
「募集要項に年齢制限は書かれていませんでしたから」
「それは知っているよ。私の知人には迷宮の関係者がけっこういるから」
それを聞いてちょっと驚いた。今日び迷宮を知らない日本人はほとんどいないだろうけど、迷宮の関係者の絶対数というのもそんなに多くはないのだ。
改めて隣の男性を観察した。顔のパーツの一つ一つは平均点といえる。特に美男子というわけではない。しかしその顔立ちは上品に整っていた。総体として穏やかな雰囲気を身にまとっている。たぶん見た目よりも年上なのだろう。スーツは身体にあったものを着こなしているという感じだった。就職活動中の大学生のようにスーツに着られているという印象からは程遠かった。身に着けている品々もこれといって目に付くような派手さはないが、いかにも洗練されているという印象を受けた。実は結構な値段なのかもしれない。思ったよりも立場が上の人なのだろうか。
もちろんそういった観察結果は口には出さない。
「妙な縁ですね」
「全くだ。それでも君くらい若い志願者は聞いたことがないね。いったい幾つだい?」
「十五です。二日前に中学を卒業しました」
「それじゃ若いはずだ。しかしなんでまたトレボー要塞になんて」
「中卒ですから。就職活動みたいなものですよ」
「口に糊するためだけだって? それだけの理由で迷宮に潜る人間は同じ理由でマグロ漁船に乗るよりも珍しいがね」
怪訝な顔をされた。言葉に詰まる。
よりにもよってなぜ迷宮都市なのか。それははっきりしている。何もかもが嫌になったからだ。自分を取り巻く環境の全てから逃げ出したくなったからだ。余計なことに頭を使う余裕すらなくなるほどの困難に対処していくだけの日々を過ごしたかったからだ。
もちろんそのあたりの事情を語るつもりはない。露悪趣味は好みじゃない。どうやって誤魔化そうかと黙っていると、
「失礼。どうやら立ち入ったことを訊いてしまったようだ」
と謝られた。慌てて手を振る。
「本音は冷やかしみたいなものですよ。」
「……ふむ、そう言うのならそういうことなのだろう。結局は人それぞれだしね。でも、迷宮はずいぶん危険だと聞いたが」
「素人がいきなり迷宮に潜るわけじゃなくて、その前にいろいろと試験があるみたいです。本当に危険だとされたらそこで弾かれますよ」
いくら切望しても無理なものは無理。たった十五年の人生だけど、それくらいはわきまえている。――脳裏に過去が這い上がって来る。追い払う。気分のいいものじゃない。
「とにかくダメモト、半分は物見遊山に出かける気分で顔を出してみるつもりです」
そう韜晦しておいた。車内にアナウンスが流れる。次の駅で降りる必要がある。
「ふうん。ま、うまく試験をパスしたとしたら死なない程度に頑張ることだね」
そう。迷宮では毎日のように冒険者が魔物に殺されている。今の僕には望ましい環境だと言えた。
駅の構内に設置された地図に従ってバス停を探した。辺りを見回すと屈強な外人たちが一つ方向に流れていた。ついて行くと目的のバス停だった。冒険者の半数が外国籍、しかも兵役の経験者と言うのは事実らしい。
最後尾に並んでバスの出発を待つ。しばらくするうちに僕の後ろにも列ができた。その誰もが僕よりも背が高く、年嵩だった。やたらと騒がしい。日本語の雑談も聞こえるが、聞いたことのない単語も飛び交っている。
僕たち探索志願者の集団の周りにはちょっとした真空地帯が出来上がっていた。そしてその外から遠巻きに視線が送られてくる。興味にせよ畏怖にせよ、とにかく自分たちとは違う何かを見る目をしていた。それはたぶん正しいのだろう。迷宮都市は異界だと聞いている。
バスのドアが開いたので乗車した。このバスは鳴沢迷宮開発センターへ直行するとアナウンスで説明され、次に外国語が流れた。たぶん英語だ。向こうでは英語が公用語だそうだ。
バスに揺られている間は窓の外を眺めていた。やがて市街地から離れ、建物もまばらにしか見られなくなっていった。三十分くらい経つと、目的地が視認できるようになった。それはちょうど下から見上げたダムに似ていた。バスが近づくにつれてその威容は圧迫の度合いを強めていった。
迷宮都市には城塞都市の別称があるように、二重の隔壁に囲われているそうだ。今、僕が眺めているコンクリートの壁は、迷宮都市の外周に巡らされている外壁なのだろう。この壁は魔物が外界に出ることを阻むという建て前で建設されたらしいが、実際には不法侵入者を検閲する点で役に立っている。迷宮内の財産は日本国の所有物であるという理屈から、迷宮探索に参加できる権利は日本の他には特定の友好国にしか門戸が開かれていない。これが左寄りの新聞や放送局にはお気に召さないらしく、いろいろ物議を醸している。
バスが停車した。乗客たちに混じって下車した。アスファルトで舗装された道路の先に巨大な城門が設置されていた。その上に、ひどく不調和な感じのする扁額が掲げられていた。いったい何を考えているのかと訝りながら読んでみた。
意識して口元を笑いの形に歪めてみる。どうやら迷宮都市の住人は皮肉がお好きらしい。
そこには中卒の僕にも理解できる英単語が二つ刻まれていた。
“Welcome Stranger”
――ようこそ異邦人――と。
- [2007/03/27 21:18]
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