保険 アリコ Moon of Samurai Arcadia -私家版Wizardry-

Arcadia -私家版Wizardry- #06 “Eye Opener” 

 ズブのしろうとに二週間の訓練をほどこしただけで戦場へ送りこむというやりかたは、まともな軍歴をあゆんできた人の目には狂気の沙汰にうつるという。軍隊では新兵の基礎訓練期間はだいたい三ヶ月、戦争が悲惨なことになれば基礎訓練だけで前線おくりになるけれど、平時なら訓練をつづけるし、下士官や将校ともなれば専門的な訓練をうけるための軍事学校に進学もする。
 迷宮が非常に特殊な戦場であるため、冒険者候補生がうける訓練もまたひどくかわったものになった。軍人とのちがいはいろいろある。こころみにひとつあげると、たとえば軍の新兵はふつうなら団体行動をつねに強制させられて連帯責任をたたきこまれる。しかし冒険者は六人一組のチームで行動するので個々の判断力が重要視される。そのため訓練生は少数主義のバディシステムで訓練をうけるのだ。
 訓練生コンビはおたがいの短所をおぎないあうようなかたちでえらばれる。体格のまずしい人には体力自慢の人をあてがい、ものわかりのよろしくない人には頭のきれる人にサポートさせるというぐあいに。そしてカジノさんが僕らのなかで最高の能力の持主であることについて異論をはさむ人はいなかった。かれは体力と知性とを非常に高いレベルでかねそなえていた。だれも太刀うちできないくらいにタフだった。言動のはしばしには非凡な見識と洞察力とがうかがえた。短所なんてひとつも見つからなかった。だから僕がバディにえらばれた。
 思いかえすだけで背中に汗がにじむ――僕はカジノさんに迷惑ばかりかけていた。僕がヘマをするたびにカジノさんにまでとばっちりがとんで僕らふたりにその場で腕立ふせをするよう命ぜられた。肉体酷使の単純作業はつらかった。しかしそれ以上にカジノさんの足手まといになっているという事実が僕を苦しめた。かれはひとことも僕をせめなかった。僕のせいで罰をうけたときには必ず表情を消し、決して僕を恨みがましい目で見ようとはしなかった。
 本音を言えばすぐにでも逃げ出したかった。僕には冒険者はむいていない、訓練生をやめればカジノさんもべつのバディと組むようになる、このままここにいてもひとに迷惑をかけるだけだ――そんなふうに考えた。しかし実行にはうつさなかった。僕の自己犠牲的釈明がほんとうのところは自分を甘やかして傷をなめるための卑劣な言いのがれであることを知っていたからだ。そしてそれ以上に、僕が訓練場から去ることになれば、カジノさんからほんとうに軽蔑されることになるだろうという確信があったからだ。カジノさんは身も心も強い人だった。
 訓練四日目、はじめて同期生とともに教官に先導されて迷宮にもぐって魔物をこの手で撃った日の夜、カジノさんにはじめてプライベートで話しかけられた。
「よお、にしゃちっこらしゃべってみっせ」
 ハリウッドの西部劇にでも出てきそうな金髪の精悍な外国人のズーズー辯に僕は面くらった。するとカジノさんは快活そうに笑って英単語をまじえながら説明しはじめた。俺は日系四世だ、だがじいさんの代からつたわる日本語はずいぶんヘンらしい、ちゃんとした日本語をおしえてくれないか、俺にできることならなんでもしてやるから。……
 僕が首をたてにふったのはカジノさんに迷惑をかけつづけていることへのうしろめたさからだった。だから交換条件については遠慮した。するとカジノさんは親切心から僕に英語を教えてくれることになった。その日から語学の勉強がはじまった。
 おたがい上達ははやかった。僕は中学のとき英語は得意分野だったしヒアリングでもじょうずに聞きわけられた。カジノさんのほうも方言とはいえ日本語をあつかえるのにかわりはないし、英語のほかにフランス語やスペイン語とかのかんたんな会話のできるマルチリンガルだった。要するにふたりとも土台はできていたのだ。おかげで訓練の最終日にはおたがいが相手の母国語をつかって意志疏通するくらいはできるようになっていた。
 訓練最後の夜、これまでどおり僕が英語をつかい、カジノさんが日本語をつかって雑談した。話はいつしかこの町にくるまでの過去にまでおよんだ。
「俺のひいじいさんはニッポンの会津のサムライで、明治維新のせいで食えなくなって海をわたってきたんだ。がんばったんだぜ。移民組のなかじゃあ成功して、白人と結婚した。百年まえだから立志伝中の人だ。死ぬまぎわに言ったことは、移民の自分をここまでにしてくれた神と合衆国への心からの感謝のことばだったそうだ。
 けど、じいさんのほうはそう単純な人生をおくれなかった」
 そこまで言ってからひと呼吸おき、僕にきいてきた。
「442聯隊って知ってるか?」
「いえぜんぜん」
「ニッポンじゃそんなもんだろうな」
 カジノさんがさびしげにつぶやくのをみて僕は「きっと僕がもの知らずなだけです」と言いそえた。カジノさんはそれにはこたえず、どこか遠くを見るような目でつづけた。
「戦争があった。合衆国と、おまえらニッポンとの。日系人は“色つき”だからドイツ系やイタリア系とちがって強制収容所おくりになった。じいさんたちは自分たちにはりつけられた敵性国民のレッテルをはがすために命をかけることにした。志願兵となってファシズム国家と戦うことを決意したんだ。
 こういう話をきいたら、ニッポン人はどう思うんだ?」
「べつになにも。あなたのおじいさんは日系人だったけれど、それ以前にアメリカ国民だった。それだけの話でしょう」
「そうだ。そうだとも。
 じいさんたちは戦った。ほかのどの部隊よりも勇敢に、命をすてて戦った。いちばん死傷者をだし、いちばん勲章をうけた。そして戦いがおわってホームへかえってみれば財産はすべて沒収され、仕事にありつこうにもジャップおことわりの看板のまえにはじきとばされた。じいさんたちの必死の戦いはそのころじゃあ完全に無視されていたんだ」
 そしてカジノさんはおしだまった。僕らのあいだに重苦しい沈黙が横たわった。ややあって僕のほうから口をひらいた。
「それで、カジノさんはアメリカがいやになったんですか」
「どうかな」とカジノさんはこたえた。自分でもよくわからないようだった。
「じいさんがひどい目にあったのは知っている。もちろんじいさんがうそをついていないこともな。けど、俺はじいさんも好きだが合衆国のことも好きなんだ。
 たしかに国の連中はじいさんたちを無視し、石もて逐った。しかしじいさんたちの名誉恢復に尽力してくれたのもまた国の連中なんだ。それに俺は公民権運動のあとのうまれだし、この顔のせいで民族差別の体験なんてまるでおぼえがない。いくら肉親のこととはいえ、自分のことでもないのに被害者ヅラし、相手の過失をせめるというのは、卑怯だ。
 だからといってひいじいさんみたいに国のことを全面的に信頼するのはもうむりだ。だからまずは俺をここまでそだててくれた国へ義理をかえすことにした。義務じゃなくてな。海兵隊に志願してイラクに行った。負傷して勲章をもらった。これだけやればとりあえずは義理をかえしたと思ったから傭兵になって外国をいろいろ見てまわった。合衆国よりもよさそうな国はみつからなかったよ。
 ニッポンへきたのはご先祖さまの国がどんなところかこの目でたしかめたかったからだ。この町でまとまった金をつくったら、ばあさんのいた国や、おふくろのルーツへも行ってみるつもりだ。でも結局は合衆国にかえると思う。
 過去になにがあっても合衆国は俺の祖国なんだ」
 そうしてカジノさんは胸のうちのすべてをはきだしたような満足げな顔になった。
 つぎはこっちのばんになった。僕は的はずれな日本語やイントネーションのおかしな英語を駆使して意味のわからないことばをならべて相手を煙にまこうとした。カジノさんは僕のごまかしにすぐ気づいたらしく、するどい目でこちらをにらんできたが、あきらめてこの話を適当にきりあげた。ひとまずはたすかったと思った。
 それがカジノさんとの最後の話になるなんてあのときは思いもしなかったんだ。

 いよいよ冒険者としてはじめて迷宮にもぐる日がやってきた。いつもどおりに目をさまし、いつもどおりに訓練場へむかい、いつもどおりに準備し、いつもどおりに右の人差指がじくじくと痛んだ。
 あの日、馬小屋へかえるとちゅうで指の異常に気づいた。電信柱の電燈のもとで確認したら人差指が血にまみれていた。あのときあんまりカジノさんの名前のところをごしごしやりすぎたせいで指を切ったのだと見当がついた。ちかくの薬局で絆創膏を買ってかえって洗面所で血をあらいながしたあとで処置したけれどしばらくたつと絆創膏の白い布地の部分が赤にそまって血がたれてきたので馬小屋のロビーでティッシュペーパー四枚と輪ゴムひとつとをもらって指先にまきつけてじくじくと痛むのを無視して寝たらひと晩で血はとまったものの痛みはひかなかった。絆創膏をはって訓練に出ると桜さんに心配されたので、ラブレターをもらったからカッターナイフで封を切った、あわてたせいで指まで切った、泣くのをこらえて読んでみたら実は不幸の手紙だった、血も涙も出た、というでたらめを言ったら、君はアホかという顔をされて指のことはそれっきりになった。戦闘訓練では銃の引金をひくようなことはなかったので傷口はひらかなかった。痛みのほうはなにかに集中していれば気にならないくらいにはよわまった。しかしこんなふうに思いだしているとぶりかえす。
 六人そろった。桜さんも吾妻さんも顔に緊張があらわれていた。たぶん僕もにたようなものだろう。黒井さんたち先輩がたの表情はふだんとさしてかわらない。さすがだった。
 訓練場の中央までやってきた。迷宮への入口は三重の檻にかこわれていた。いちばんそとがわの檻にはたったひとつの扉が南にもうけられ、まんなかの檻の扉は正反対の北にあり、いちばんうちがわの檻の扉はふたたび南についている。こうやっていったりきたりをくりかえさせるのは万一魔物が地上へはいだしたときの足どめのためで、檻のなかでうろうろしているうちに機関銃で蜂の巣にしたり火炎放射器で焼肉にしたりするのだ。
 みっつの扉をくぐりぬけ、檻の中央の階段をつかっていよいよ迷宮の地下一階へとおりてゆく。一歩ごとに指がじくりじくりと痛んでゆく。

 パーティが地下一階におりたつとすぐさまフォーメーションをとった。先頭はスミスさんで、軽機関銃の銃把をにぎり、かるがると肩にのせていた。その右ななめうしろが桜さんで、右手に抜身をさげている。その横、いちばんとおくが僕だ。僕ら三人を頂点とするおおきな三角形のなかに黒井さんとバカルディさん、そして吾妻さんがちいさな逆三角形をつくっている。いつもどおりの北条鱗だ。いつもどおりだ。それなのに。
 のどもとがしめつけられるようで息苦しい。胃に重金属でもながしこまれたようだ。両手にかかえるベネリM4がどんどん重さをましてゆく。迷宮内が薄もやにけぶるようで何もかもが見えづらい。だれかがなにかを言っているらしいのに頭がそれをうけつけない。はっきりしているのは指の痛みだけだ。
 不意に背すじがあわだった。反射的に顔をあげると進路のむこうにマナが霞だっていた。これが魔物のあらわれる前兆であることは頭にたたきこまれている。胃がわしづかみにされるようだった。それでも体にしみついたうごきのままにベネリをかまえた。
 そうだ。こんなことはなれっこじゃないか。あの霞のなかから顔をだすのは人間型とみた。どうせオークかコボルドだ。むこうは飛道具をもっていないし、こっちの武器ならはずすほうがむつかしい。むしろこの距離なら敵を逃がさないようこっちへおびきよせる必要があるくらいだ。接近戦になったところで体格的にも人間のほうがまさっている。やつらはたかが地下一階の敵なんだ。
 ――その地下一階の敵にカジノさんは殺された。
 その胸底からのささやきは僕を見えない棍棒でぶんなぐった。心臓が早鐘のようになりひびく。指先の痛みが早波のように全身にうちよせる。傷口に絆創膏ごしにふれる引金が重い。引金はかたまったままか? 弾はでないのか? むなしく距離をつめられるだけか? このまま何もできずに魔物の餌食にされるだけか?
 ――僕もカジノさんみたいになるのか?
「ああああああ」
 意味をなさない絶叫がのどからほとばしりでた。傷口をむしろ痛めつけるように荒々しく引金におしつけた。銃声が鼓膜をつきさし、反動が脳髄にひびいた。目も頭もはたらかなかった。闇雲に、機械的に、発砲をつづけた。
 右から衝撃がとんできた。口のなかに鉄錆を煮こんだような味がひろがる。血の味だ。足もとがぐらつき、こらえきれず、ぶざまに尻もちをつく。のろのろと頭をもちあげると、スミスさんが怒りで目をぎらつかせていた。
 スミスさんは僕の襟もとをつかみ、右腕一本でたちあがらせ、頭突きをひとつ僕の額におみまいし、つばが飛んでくるほどのちかさといきおいとで言った。
「アロー? アローアローアロー、アロー? 聞こえますか聞こえちゃってますか豚娘様?」
 それから僕の顔を強引に進路のほうへとねじむけさせ、うしろ頭をぎりぎりとねじあげながら耳もとで大声をだした。
「おまえ魔物のまわしものか、え? 見ろよ、おかげでやつらはトンズラだ。おまえは命の恩人サマってわけだ。ヘイ、ヘイヘイ、これからも逃げの合図をうちつづけて迷宮を平和の楽園にしたいのか? だったら俺たちみんな口がひあがってくたばるだろうよ。
 それでめでたしめでたしってか、くそったれ」
 そしてふたたび僕をふりむかせた。スミスさんの顔は怒りをとおりこして無表情になっていた。
「目はさめたか眠り姫様? おきてるんなら自分で立て。ねぼけてるんなら死ぬまで寝てろ」
 そう言われるころには僕がしでかしたことについてようやく合点がゆくようになっていた。羞恥心と自己嫌悪とに全身がわななく。顔はまっさおになっているだろう。このまま土下座したかった。しかしここは戦場だ。なんでもすばやくかたづけなければならなかった。
 僕はつとめて感情をこめずに言った。
「すいませんでした。気つけにもう一発おねがいします」
「いい度胸だ」
 僕は歯をくいしばった。スミスさんは無表情にみおろしたまま鐘つき棒のような膝を僕の腹にめりこませた。頬をはられると覚悟していたのが完全に予想外だった。にぶく強烈な痛みがみぞおちを中心にして内臓をあばれめぐる。しばらく息もできなかった。
「何をする!」
 僕をかばうようにしてスミスさんのまえに立ちふさがったのは桜さんだった。その声音と体のこきざみなふるえから、その怒りのほどが知れた。
「最初の掌底はわかります。しかし追打ちはいらなかった。あなたは暴力をふるいたいだけなんじゃないですか。
 吾妻さんもなにか言ってやってください」
 俺かよ、とばかりに吾妻さんははなはだ迷惑そうに眉をしかめた。
 スミスさんは日本語がわからないはずだ。しかし桜さんがなにを言っているのかだいたい察しはついたのだろう、心の底からうんざりしたような表情をした。そのそばにいるバカルディさんもにたような顔だった。黒井さんは僕らに背をむけてあたりを警戒している。
 桜さんには申しわけないけれど僕もスミスさんたちとおなじ思いだった。悪いのは百パーセント僕だ。それなのに桜さんにかばってもらうのでは、まるで勝気な姉のスカートのかげにかくれて舌を出す卑怯な悪ガキだ。……だめだ。この期におよんで僕はまだ自分のことしか考えられていない。
 僕は腹に手をあて奥歯に力をこめてたちあがった。それをわざとらしいと感じたのか、スミスさんの僕を見る目は軽蔑の色を濃くしていった。桜さんは僕とスミスさんとを交互に見やってますます顔を怒りに青ざめさせた。
 急速に緊張してゆく三人のあいだにおちかかってきたのは場ちがいなほどにのんびりした声だった。
「で、これからどうするんだ? 進むか? 帰るか?」
 声の主は黒井さんだった。なんでもないという態度でこれからのことをきいてくる。その目はおもに僕のほうへむけられていた。
 僕はほとんど反射的にこたえていた。
「やります。探索をつづけます。もうみっともないところは見せません」
「そうか。ならつぎからは君が先頭だ」
 そう言ってから黒井さんはみんなにフォーメーションを一部かえるよう指示した。スミスさんもバカルディさんも抗議しなかった。桜さんは僕になにか言おうとしたので、僕は一礼してベネリの空になった薬室に十二ゲージの散弾を装填し、床にちらばった空薬莢をひろいあつめ、桜さんが口ごもっているのをいいことにそのそばをすりぬけてパーティのまえに立ち、準備がととのったのを確認して手で合図してまえへあるきだした。
 百歩とすすまないうちにあらたな魔物の気配を感じとった。そのとき僕の胸にわきあがったのは汚名返上のチャンスにめぐりあえたことへのよろこびではなかった。僕の面目玉をつぶしたうえにパーティを分裂の危機におとしいれたことへの怒りでもなかった。あれだけの恥をさらしておいてなおさっきのものとまったくかわりばえのしない恐怖だった。僕は胃液をえづきそうになるほどの絶望にうちのめされた。
 しかしさっきとちがうところがひとつだけあった。敵をまえにしてみじめにおびえる自分をうしろからひややかに観察する自分がいることを発見した。その侮蔑するような視線を背中にうけているせいでかろうじて理性を手ばなさずにすんだ。
 僕は引金をひいた。なぜ僕みたいなやつが生きのびてカジノさんみたいな人が死んだのかを疑問に思いながら。




Arcadia -私家版Wizardry- #05 “Spring has come” 

 今までずっと逃げてばかりいた。
 なにかいやなことがあればすぐに背中をまるめてしゃがみこんで耳をふさいで目をとじて、めんどうがとおりすぎるのを待った。そのときはきまって目のまえがまっくらになるような思いにとらわれた。すべての平衡感覚がうしなわれて暗くはてのない泥沼の底に落ちしずんでゆくようだった。はじめはずっと殻のなかにとじこもっていなければならないのかとおびえながら日々をすごしていた。それでもやがて区切があることを学んだ。問題が完全に解決するわけでないことは経験によってうすうす承知していたけれど、それでも間隔と休憩時間とが置かれていることを知った。それは忍耐の結果ではなかった。むこうが勝手にあきただけだった。そのときの僕は自分がつまらない人間だからほかの人の興味をずっとつなぎとめられないのだと考えた。あのころの僕はすべてをマイナスの意味にとらえることしかできなかった。
 そのうち僕はもうひとりの自分をこしらえてもとの自分をひとごとのようにながめられる技術をそだてていった。他人に自分を誤解させるすべを会得した。心にもないことを言うわざを学んだ。うちがわの自分とそとがわの自分とのあいだに距離をあけて障壁をきずいて段差をもうけて、そとからの影響をうちに近づけさせまいとがんばった。それらはあるていどは効果を発揮して僕を守ってくれた。
 やがて僕の生活はおおきな変化をむかえた。古い世界は死にたえずに地つづきのものであったにせよ、それでもいくらかのゆとりを手にいれた。僕はあるひとつのことに熱中しはじめた。代償行為なんてむつかしいことばをそのころは知らなかったけれど、自分がまわりの環境から逃げることをごまかすために、あるいは恥知らずにも正当化するために、その行為に没頭したことには気づいていた。はじめのころの僕は過程だけを求めていた。ペース配分も考えず、コースえらびにも頭をつかわず、ただ走ることだけを目的としたランナーだった。それなのにゴールに到着したとき、望んでいたものとはまったくちがった結果がもたらされるであろうことについては考えがおよんでいなかった。そして僕はまるで見当ちがいのゴールに到着した。そのトロフィーは僕の平穏をだいなしにしてくれた。僕はまた逃げた。
 その果てに僕はいま、迷宮都市のベッドのなかでまるくなってひとときの暖かさをむさぼっている。

 六時まえには目がさめた。しかしきのうまでのようにいきおいよく寝床からはね起きるようにはいかなかった。まぶたが下に吸いつきたがる。頭の奥がすこし重い。口のなかが悪いのは舌苔のせいだろう。ふとんのなかのぬくもりから体がはなれたがらない。寝不足だ。もう訓練場で寝起きしているわけではないことを体で実感した。
 目がしばしばするのをもてあましながら食堂にむかった。ついた先では人影がまばらだった。他の人たちはまだ寝ているのだろう。訓練生のころのようにきびしく節制しなくてもコツをつかめば冒険者としてやっていけるのだろうと思ったので、僕も先輩たちにならって二度寝しようかという考えが頭にうかんだが、訓練学校を卒業したばかりの身なのでどこまで手をぬいていいのか加減がわからなかったし、なまけぐせがついてずるずるとあらがいようもなく堕落してゆくことを考えると恐ろしかったので、春眠暁をおぼえぬかたがたのひそみにならう気はうせた。
 乾燥ぎみのサンドイッチと原色あざやかなビタミン剤とを牛乳で胃にながしこみ、洗面所で顔をあらって部屋にもどり、着がえて馬小屋をチェックアウトした。荷物はフロントにあずけておく。四月のしらじらとした朝日をあびながら僕は緊張しながらも心のどこかで散歩気分を感じて訓練場へと歩いていった。

 訓練棟の盗賊用の構内には僕がいちばんのりだった。更衣室にはいり、戦闘用の装備を身につけ、姿見にうつった自分の全身像を確認した。
 まず戦闘服は黒ずくめのアサルトスーツ。そのうえにケブラー繊維のボディアーマーを着用している。ひじとひざとにフェルト・パッドをつけ、手に防刃グローブをはめ、足に編上式のコンバット・ブーツをはいている。ここまでは“機構”が冒険者のモデルとして参考にした英国陸軍特殊部隊SASの隊員の対テロ任務装備ほとんどそのままだった。かれらとの外見上のいちばんのちがいは僕がヘルメットもかぶらずマスクもつけずに頭部をむきだしにしていることだ。頭や顔に何かを装備するとマナを知覚する能力が大はばににぶるのがその理由だ。よほど薄手の布地か面積のせまい小物かだったら別だけれど、それだと防御効果はほとんど望めないうえにじゃまっ気なだけなので、冒険者のほとんど全員が首から上には何もつけていない。頭を無防備にさらすのは危険が大きいけれど、それ以上にマナを感じとりにくくなるデメリットのほうが深刻だった。
 僕はグロック17を右脚のホルスターにおさめ、ベネリM4ショットガンを右手につかんで更衣室をあとにした。ちなみに僕の装備はすべてレンタル品である。契約はきのうの卒業式の前にすませておいた。卒業生に支給される準備金ではアサルトスーツ一着を買うにも足が出るのでふところに余裕がなければ一週間いくらというかたちで装備を借りるしかないのだ。もっとも週三ペースで迷宮にもぐれば一ヶ月で装備一式を買えるだけの金がたまるらしいのでそれほど気にはしていなかった。

 訓練生とちがって冒険者には訓練は義務づけられていない。迷宮にもぐって仕事ができるだけの力があれば問題はない。力がなければライセンスを剥奪されるか、あるいは迷宮で命をおとすだけである。だから冒険者はだれに命令されることなく自分から訓練をおこなうのだ。
 僕は一般的な冒険者の訓練メニューを知らないので、とりあえず約束の時間までかるく体をうごかす程度にとどめておくことにした。十分ばかりを柔軟体操についやし、あとはブンチャカラ、つまりフルロードした弾倉いりのライフル(僕のばあいはショットガンだけど)をかついでのランニングをすることにした。ショットガンをもつ両腕を水平にしたり、真上にあげたりして走るのだ。そうやって訓練場の内周を走ること小一時間、額に汗がにじむころにはパーティのメンバー全員があつまったので、すっかりあたたまった体をほぐしながらみんなのところへ歩いていった。
 よ、と吾妻さんが右手をあげてこちらへ近づいてきた。吾妻さんの装備は僕のものとそれほどかわりがなかった。
「魔法使いらしくないかっこうですね。ファンタジーのフの字も見あたらない」と僕は軽口をたたいた。
 吾妻さんは芝居がかった声と身ぶりで応じてきた。
「何を言うか。この魔法のステッキが目に入らぬか!」
「M72ロケットランチャーにしか見えないのは僕の目が節穴だからでしょうか」
「考えるな。感じるんだ」
「むりです」
 そんなふうにくだらないことを言いあいながらみんなのところへ歩いていった。みんなの装備はやはりにたりよったりで、変化があるのは武器だけだった。黒井さんはAKM突撃銃を首からさげ、バカルディさんはグレネードつきM16突撃銃を両手にもち、スミスさんはミニミ軽機関銃をかついでいた。三人は僕を見ても別に顔色もかえなかった。ゆうべの僕の言いぐさをこの人たちは一場のざれごとと受けとめているようだった。そのほうが僕にとっても気がらくなので平気な顔ですましていた。
 僕らのなかでいちばんかわった武器をたずさえているのは桜さんだった。桜さんは銃器のたぐいをいっさい身につけずに一ふりの日本刀をおびていた。接近戦に備えてか、鉄片をぬいつけた手甲を装備している。もし上に何か着るなら、軍用コートよりも陣羽織のほうがにあいそうなよそおいだった。
 僕たちのパーティのメンバーは

僕こと南野仁――盗賊・中立・日本人
桜――侍・中立・日本人
吾妻翼――魔術師・中立・日本人
黒井鷹――僧侶・善・日本人
ウィリー・スミス――戦士・善・アメリカ人
バイア・バカルディ――魔術師・善・アメリカ人

という構成だ。そういえば桜さんの苗字は知らないままだった。こんどきいてみよう。
「六人そろったところで」と黒井さんが話の口火を切った。「フォーメーションをきめる。北条鱗だ。異論のあるやつは?」
 いなかった。あたりまえだった。
 北条鱗とは物理攻撃担当の三人がおおきな三角形の頂点に位置し、そのなかに魔法担当の三人がちいさな逆三角形をかたちづくるフォーメーションである。名前は後北条氏の家紋のかたちににていることからとられた。魔物たちの出現方法は常識を超えるものであるため前方だけでなくうしろや左右もカバーする必要があり、また魔法を使うには精神的に安定していなければならないため、呪文使いが三人いるパーティではほぼ100%北条鱗のフォーメーションを採用するのだ。
 さっそくメンバーの呼吸をあわせるための実技訓練がはじまった。まわりのマナの変化に注意しつつ、フォーメーションをくずさずに前進する。ポイントマンの動きやハンドシグナルの確認や通路をすすむときの要領などを点検しながらやってゆく。
 「Encount!」と黒井さんがさけんだら戦闘開始だ。魔物の出現位置がランダムにきめられ、方角を指定される。全員がそこへ注目し、最適なフォーメーションへとすばやく移動し、パーティの全火力をたたきこむ(ただし銃弾はもったいないのでつかわない)。迷宮での戦闘は巧遅よりも拙速なのだ。二時間ばかりの訓練のすえに僕ら新米トリオは黒井さんたちベテラン三人組の足を引っぱらずにすむくらいにはなった。
 ――“機構”はパーティのメンバーにすくなくともひとり、三十回以上迷宮にもぐった経験のあるベテラン冒険者をくわえることを規則でさだめていた。そしてベテラン冒険者に対しては月何回というノルマのかたちで新米冒険者の探索に同道する義務を課していた。いうまでもなくルーキーたちの死亡率をひきさげるための処置だった。てまひまかけて訓練学校を巣立たせたばかりの雛鳥たちをそのまま化物どものディナーに供するほど“機構”は気前がよくはない。もちろんベテラン冒険者としては半人前どものおもりを命ぜられたかたちになるので愉快であろうはずはないのだけれど、自分が半人前以下の能力しかもちあわせていないことを知っている身としては実にありがたい規則だった。

 昼食には訓練学校の大食堂を利用した。この後は座学の予定なので、訓練期間でへった体重をすこしでもとりもどそうと、もどしそうになるまでステーキを食った。午後はあいている部屋をつかって、それぞれがおたがいの知っていることを教えあった。正確にはものを教えるのはもっぱらベテラン三人組で、僕たち新米トリオは聞き役にまわっていた。スミスさんとバカルディさんが英語でまくしたて、黒井さんが通訳をつとめて日本語に訳して説明してくれた。僕も黒井さんをてつだおうとしたけれど僕の英語はまだまだ未熟で悪口のやりとりをのぞけばヒアリングくらいしか満足にできなかったので結局は桜さんたちとおなじようにうんうんうなづいたりときどき質問したりするくらいしかすることはなかった。それから午後四時までフォーメーションの実技訓練をやった。そのあとはシャワーをあびて五時からギルガメッシュの酒場で夕食をとることになった。

 酒場ではきのうの口の悪いウェイトレスさんにテーブルへと案内された。とりあえず僕たちはめいめいが飲みものを注文した。しばらくしてウェイトレスさんが飲みものをもってきたので僕たちはそれまでにきめておいた料理をたのんだ。
 スミスさんが黒い腕をのばしてビールのジョッキをつかみ、ひと息に半分くらい飲んだ。そしてジョッキの底でテーブルを二回ガンガンたたいて僕たちを静かにさせ、主に僕のほうを見ながら語りはじめた。
「はじめに言っておく。俺たちの狩場は地下四階だ。今のところ人間が到達している最深階だ。要するにおまえらルーキーと俺たちとではレベルがちがうんだ」
「おい」
 黒井さんがスミスさんの腕をひじでつついた。しかしスミスさんはしゃべるのをやめない。
「お前らにつきあえるのは四回。それで俺たちのむこう三か月のノルマは消化できる。一回目の探索は地下一階でいい。二回目が地下二階、三回目は地下三階、最後は俺たちの狩場で仕事だ。この条件がのめないのなら俺は降りる」
「おい、こっちのつごうばかり押しつけるなよ」
 黒井さんがスミスさんと口論をはじめた。バカルディさんは我関せずという顔で、ジョッキのふちに口をつけたまま厨房のほうを見すえている。
 いまさらことわるまでもないことだが迷宮には魔物が出る。そして一概にいって、深い階層に出てくる魔物ほど手強い。理由ははっきりしたことはわかっていない。もっとも有力な説としては地下深くにマナの発生源があるため地上に近づくにつれてマナの濃度がうすくなるからだという。魔物たちはマナをエネルギーにして活動しているため、強力なやつらほど行動の場を下の階層にもとめるのだ。
 僕は桜さんと我妻さんとの顔色をうかがった。ふたりとも眉根にしわをよせて考えこんでいた。たぶん僕もおなじようなしわをこしらえているはずだ。地下四階、いまのところ冒険者にとっての最深層の魔物どもに僕らルーキーが太刀うちできるのか、という疑問が僕らの頭を重苦しく支配していた。
 もっともルーキーといってもことばどおりの新兵というわけではない。訓練学校では実戦もやった。なにせすぐそばに戦場があるのだからこれを利用しない手はない。地上で三日間みっちり冒険者にとって必要な技能をたたきこみ、そのつぎの日に教官とヘルプの冒険者とに引率されて訓練生は迷宮にもぐって魔物どもを相手にする。このくりかえしだ。最終試験は訓練生だけのパーティで地下二階に設置されたアイテム、鍵とか置物とかいったのを手にいれることだった。地図は完璧だったし後方では試験官がつかずはなれずで訓練生たちを見まもってくれていたのですべて訓練生の実力でパスしたとはいえないものの、それでも地下二階までの魔物ならどうにか相手どることができる。だが地下四階ともなれば――
 僕らは決断をせまられた。三人額をよせあって相談をはじめた。
「ヤバいんじゃないか」とまずは我妻さんが慎重論をとなえた。
「たしかに」と桜さんが相槌をうった。「仁はどう思う?」
「やるべきです」と声に力をこめてこたえた。こういうときに内心の不安をひびかせてもなにもいいことはない。
 ふたりがだまって僕を見つめた。僕は説明をはじめた。
「僕ら三人でも地下一階と二階なら問題ないはずです。先輩がたといっしょならなおさらです。それで三階や四階におりたらそのときはあの人たちをサポートするかたちで戦うのがいいでしょう。それで僕らでも戦えるようならそれでよし、もしレベルが足りないとわかればむりをせずに探索をあきらめて地上にもどればいいんです」
「泣きをいれるのは性にあわないが、そのときはしかたがないだろうな」と桜さんが言った。吾妻さんがそれにつづけて口をはさんだ。「途中下車を考えてのうえでってのはいい。でもそれやったら俺らは冒険者になってそうそうイモ引いたってうわさがたって、あとあとやっかいなことになるんじゃないか」
「ルーキーが三階や四階をさけたとしても臆病者のレッテルをはられることはないはずです。むしろ冷静な判断だと評価してもらえるんじゃないでしょうか」
 それに、と僕はつけくわえる。「スミスさんはきょう一日、僕らと訓練しました。そのうえでああ言っているんです。僕らがほんとうに役たたずなら最初から組もうともしないでしょう。この場ではっきりパーティ入りをことわるはずです。それをああ言っているのは、僕らがあの人たちと肩をならべて戦うだけの力があると判断されたからです」
 そして僕は意識してふてぶてしく笑った。
「だったらその期待にこたえてさしあげようではありませんか」
「のった」と桜さんがすぐに言ってくれた。
「俺もだ」とややあって吾妻さんもうなづいた。「仁の言いぶんに理がある。でもきのうのことといい、意外だな。仁はもうすこし慎重なタチかと思っていたのに」
「ここみたいな男の世界ではなにか壁にぶつかったらつきすすめ、むちゃでもなんでも押しとおせ、それですっころぼうがぶっとばされようが、尻ごみするよりははるかにマシだ。そうバディが言ってたんです」
「カジノさんか? 前に言ってた」
「ええ」
 みれば黒井さんとスミスさんとの言いあいはとうに終っていてつぎつぎはこばれてくる料理にバカルディさんといっしょにとりかかりはじめていた。僕は三人にスミスさんのいう条件をのむことをつげた。スミスさんは気楽な顔で「そうかい」と言った。
 細部のスケジュールをつめてゆく。黒井さんたちの実戦の日は月曜と木曜なので二日後の月曜に僕ら六人は地下一階を探索することになった。先達たちによってすみからすみまでしらべつくされているのであたらしい発見などはないだろう。僕ら三人を実戦にならすため、あとはこづかいかせぎのためだ。

 みんなとわかれてから陽がしずみつつあるのを背にうけて訓練場へ足をはこんだ。本格的な命のやりとりがはじまるときまったのにまるで恐怖を感じない。これからさきへの期待感に全身が支配されている。迷宮都市へやって来てからなにもかもがうまくいっているので頭がうまくはたらかないのだと自分でもわかった。こういうときにこそ足をすくわれるものだと知っているのに、心のほうは頭のいうことをうけつけてくれない。
 訓練場のかたすみに石碑の一群がたてられているのが見えた。その黒光りする御影石の表面には数しれぬほどの名前がほりこまれている。迷宮で魔物どもに殺された人々の名だ。はじめは七年まえのデルタフォースの殉職者のために設けられたのがいまでは冒険者の犠牲者のためのものになっている。そういう事情を訓練生のときに教官におそわった。
 石碑のまえには先客がいた。その厳粛なうしろ姿から墓参りにもにた思いでたたずんでいるだろうことは見てとれた。相手の目ざわりにならないあたりに位置どった。そして自分へのいましめのために石碑にほりつけられた名前を心のうちでよみあげてゆく。
「きみは、ジンかい?」
 先客のひとに声をかけられた。意外な感じとともに相手のほうをむく。陽はくれかかって顔がよく見えない。
「ええ」
「そうか。あんまり子どもだからそうだろうと思った。ああ、わたしはきみのバディだったカジノの友だちだ。リベリアで肩をならべて戦ったこともある。
 きみのことを話していたよ。訓練生でいちばんのチビのガキが俺のバディになった、はじめはドジばかりこいてたが泣きごとひとつこぼさずに教官の命令にしたがう、どんな状況になってもへらず口をたたく根性の持主だ、舌もまわるが頭もまわる、そのうえタフだ、ってね。
 あいつがあれほど人をほめるのははじめてだ」
「かいかぶりですよ。あと日本人の子どもってことでひいき目もはいっているんです。
 ところで、いまカジノさんはどちらに住んでるんですか?」
「あの世だよ」
「あの世ですか」
 僕はおうむ返しにこたえたあとでかれの言ったことの意味をあらためて考えて、そして愕然とした。
「……死んだ?」
 相手の顔はあいかわらず見えない。
「でも、卒業して、きのうのきょうで」
「あいつは冒険者になってすぐに俺たち先発組とくんで迷宮にもぐった。やつはプロだし傭兵仲間との連携も完璧だったからな。
 だがアンラッキーがやつを殺した。たまたま不意をうたれ、たまたま急所を切りさかれ、たまたま仲間の僧侶との距離がひらいていた。そしてすべてが致命的だった。
 ……、……」
 そのあとどういうやりとりをしていたのかはよくおぼえていない。気がついたら僕は訓練棟のつくりものの光のもとでカジノさんの名前がほりつけられた石碑のまえにぼんやりと立ちつくしていた。そのいちばんあたらしい名前に人差指の腹でふれた。そのふちはあくまでするどく、指に力をいれてこすると痛かった。なにもかもが嘘としか思えないなか、その痛みだけがいまの僕にとっての現実だった。




Arcadia -私家版Wizardry- #04 “Superior” 

「本日をもって卒業の日をむかえた諸君にまずは慶讃の辞をおくる。おめでとう。ふた親からさずかった大事な体を粗末にあつかい、化物どものうごめく地の底にもぐろうとする物好きな親不孝者たちに衷心からのお祝いを申しあげる」
 実に心温まるまえおきから“機構”のおえらいさんの訓辞ははじまった。
「入学者の七割、五十九名の脱落者のうちに数えられることなく、訓練学校の二週間を耐えぬいた諸君は今やすでに冒険者である。諸君の使命は迷宮を探索し、魔物を掃討し、もって民間人の平和と安全を守ることにある。背後の民間人を魔物の犠牲者にしないためにも諸君には戦って戦って戦いぬくことを命令する」
 僕は気をつけの姿勢をくずさずに顔をまっすぐにむけて大まじめな表情をつくったままかんじんの訓辞は右から左へと聞きながしつつ目だけを動かしてよそ見した。四月の陽は落ちかけて内郭の陰にかくれようとし、叢雲の底をオレンジに染めて、グラウンドに整列した僕たち新米冒険者たちの影を長くのばしていた。卒業生は総数二十三名。それぞれ職業別に右から戦士、魔法使い、僧侶、盗賊、そして侍の順で縦列に並んでいる。もっとも最後の侍だけは桜さんしかいないので列をなしているとは言えなかった。桜さんのうしろ姿は記憶のなかの影像とほとんどかわっていなかった。
「諸君のなかにはあらそいごとに無縁だった者もいるだろう。軍属だった者もいるだろう。傭兵だった者もいるだろう。だが今日から諸君はひとしなみに冒険者だ。
 諸君の仕事にはつねに危険がつきまとう。脱落する者も出るだろう。新たな人生を歩む者も出るだろう。だが冒険者であった過去は消えない。迷宮は決して冒険者を放さない。戦争で殺人を犯した人間がついに戦場から逃れられないように」
 いやなことをつけくわえる。
 視線を右へむけると僧侶の列のむこうに吾妻さんの姿がみとめられた。その横顔は頬がゆたかにはっている。最初に出あったころは骨皮筋右衛門だったのが訓練のあいだにじゅうぶんな肉をつけてすっかり頼もしくなっていた。シゴキのせいで四キロやせてしまった僕とは大ちがいだった。
「諸君の活躍をそれなりに期待している。以上」

 こうしてプログラムのどんじりの訓辞も終わり、卒業式は閉幕をむかえてその場で解散となった。とたんにまわりがさわがしくなった。二週間ぶっつづけにはりつづけてきた緊張の糸をようやくゆるめて桜さんのところへむかった。彼女はすぐに僕の姿をみとめて近づいて来た。
「卒業おめでとう。二週間しかたっていないのに、ずいぶん久しぶりな気がするな」
「桜さんもおめでとうございます。ホント、思いおこせば小野妹子が遣隋使として日本海をわたって全国妹選手権に参加したころ以来のような……」
「それは古すぎだ。あと小野妹子は男だ。というか何だその妹選手権て」
「隋の煬帝が審査員長を務める七世紀初頭最大の美人コンテストです。参加資格は妹であることただひとつ。ちなみに参加者にはもれなく大運河開鑿工事の強制労働がプレゼントされます」
「なんて嫌すぎるコンテストなんだ」
「ええ、口から出まかせでこしらえた僕もそう思います」
「半月ぶり、ふたりとも」
 急な声といっしょに背後からおおいかぶさられた。吾妻さんだ。両手をのばして左腕を僕の、右腕を桜さんの首にまわしていた。
「おどかさないでくださいよ吾妻さん。あと重い」
 僕の抗議に吾妻さんはどこ吹く風とまったく悪びれずに僕たちをせかした。
「立ち話もなんだし日も暮れる。歩きながら話そうぜ。ところでなかなかに刺激的ではあったな、あの訓辞」
「あれ結局なんだったんですか? 僕たちの気分を下げるだけ下げて、というかほとんど呪いでもかけるようなこと言って」
「あのオッサンは確かマスコミからの出向組だったはずだ。“機構”が批判をかわすためにマスコミの大物の何人かを招聘しているんだよ。あのオッサンにしてみりゃ、顧問のポストにふんぞり返って高い給料をもらえれば俺たちがどうなろうと知ったことじゃないんだろ。いやむしろ死んだほうがうれしいんじゃね? 探索が長引くだけ退職からは遠のくし、叩きのネタはできあがるしで」
「それならそれでもう少しマシな人選をしてくれればよかったのに。ま、確かに刺激的だったし型破りではありましたが。あれを聞いて士気が上がる人がいたとしたらそいつはマゾだと思いますよ」
「……背後の人たちを守るために戦えというくだりでちょっとだけ感動したんだが」と、こちらは心もち肩をおとした桜さん。
 とりとめのない話をしているうちに訓練場をぬけて市街地に出た。まえのような違和感はなかった。いまの僕はすくなくとも二週間前の桜さんや吾妻さんくらいにはマナに適応した体になっていると考えてよさそうだった。
 大通りを歩くこと数分でギルガメッシュの酒場についた。なかは急進的な嫌煙権推進論者が見れば卒倒しかねないくらい濃密に紫煙がただよっていた。喉がいがらっぽくなるのをこらえて店内をすすんで三人でテーブルをかこむとすぐにウェイトレスさんが駆けよってきた。胸を強調したデザインの制服を着て膝上30cmくらいのスカートをはいていた。まだ宵の口だというのに店内がほぼ満席である理由がわかった、ような気がした。歳のころは二十歳前後。顔立ちは十人なみだったけど活気に満ちた瞳と表情とのおかげでかなり魅力的に見えた。
 そんなウェイトレスさんが元気よく注文を訊いてきた。
「いらっしゃいませファッキンガイズ、ご注文は何になさいますか?」
「君のオフの時間」と吾妻さんが言った。
「液体窒素で顔を洗って出なおして来やがれでございます」とウェイトレスさんがにっこり笑って斬り捨てた。結局、牛乳とオレンジジュースと生中とをひとつずつたのんだ。
「まずは乾杯」と吾妻さんが音頭をとって僕たちはグラスをあわせた。吾妻さんはビールをひと息に半分くらい飲んでから「じゃ、メシ食うまえにアポ取っとくか」と言ったので「例の先輩冒険者ですか?」と桜さんにきかれると「おお」とうなづいてさっきのウェイトレスさんが手のあいたのを見はからって声をかけた。
 彼女の案内で連れていってもらうことになった。こちらがお願いする立場なので僕と桜さんも同行することにして三人めいめい自分のグラスを空にした。店の奧、厨房からいちばん近い席へとみちびかれた。
 そこには三人の屈強な男たちが座っていた。むかって右から黒人、白人、黄色人。その左端の人が立ちあがった。
「私が黒井だ。話は聞いている。五百島の口ききじゃことわれないな。お前らも立てよ、新しい仲間だ。ああ紹介しよう、こっちのデブがバイア・バカルディ。あっちのノッポがウィリー・スミスだ」
 三人が横にならぶときれいに右肩あがりの背の順になった。
 黒井さんは僕よりすこし背が低いくらいの三十前の青年だった。そのたたずまいには無言の自信がにじみ出ている。訓練学校に臨時の講師としてやって来た何人かの現役冒険者に共通する雰囲気を黒井さんと他の二人にも感じた。容姿が平凡に見えるのは横のふたりが実に特徴的な外見をしているからだった。
 バイア・バカルディさんはデブと紹介されたものの実際には肥満ではなく堅太りの体型をしていた。脂肪のしたにはじゅうぶんな量の筋肉がかくれているのが見てとれた。極端な猫背で両腕を前にたらしている。顔が面長で頭が大きい。直立した牛みたいだった。三人のなかでいちばん老けて見えるのは頭頂部の深刻な環境破壊のせいばかりではないだろう。
 ウィリー・スミスさんは黒光りのするムチのような肉体の持主だった。左隣のバカルディさんとは対蹠的に体にほとんど贅肉がついていないせいで実際以上に長身に見える。腕が異様に長くて前屈みにならなくても指先が膝にまで届きそうだった。細身のゴリラを聯想した。
「くわしい話をつめるのは明日、九○○○に訓練場に集合してからだ」と全員が着席するのを待ってから黒井さんは言った。「ここではざっとしたことをきめておく。メンバーはこの六人で問題ないな。報酬のわけまえは、私たちが六で吾妻たちが四。文句がなければ以上だ」
 あっという間におわった。黒井さんがむこうのリーダー格なのか、ほかのふたりは口をはさまずにただ僕と桜さんとを交互にながめながらニヤニヤ笑うだけだった。どちらもあんまり気持のいい視線じゃない。僕たちが自分の席にもどろうとしたところでバカルディさんがジョッキをさしあげながら英語で言った。
「お嬢ちゃんにお坊ちゃん、化物どもが恐くなってガタガタふるえたくなったら俺のベッドにもぐりこんで来な。ふたりまとめて相手してやるぜ」
 スミスさんが顔を下にむけて盛大に吹きだした。黒井さんは何もきこえなかったように平然としていた。他意はないかも知れないし単純に軽口の可能性も高いしそもそも熟練の冒険者が自分から本気で仲間割れの愚を犯そうとしているとも思えないので意味がわからないふりをして馬鹿っぽい笑顔をうかべながら聞きながせばすべてはなかったことになるだろう。僕はずっとそうやってめんどうをさけてきた。でもいまではカジノさんのことばが頭のすみにあった。かりに冗談だったとしても侮辱には、すくなくとも仲間にむけられた侮辱にはつっぱりとおす必要があると考えなおした。
 僕は努力して天使のように清らかな笑顔をつくってから答えた。
「けっこうなおさそいですね。そのときになったらあなたの上の穴と下の穴とをこわれるまでファックしてありったけの特濃ミルクをブチこんでさしあげますよ」
 三人は一瞬ギョッとしたような顔になったが、すぐに油断のない目つきになって肉食獣のように歯を見せて笑った。「お手やわらかにたのむぜ」とバカルディさんが言うのを背にうけて僕たちはまえにいた席にもどった。
「英語がしゃべれたんだ、仁」と桜さんが椅子にすわるなり上半身をのりだしてきて言ってきた。「でもあのハゲと君、何て言ったんだ? おだやかな雰囲気じゃなかったが」
「ハゲは直球すぎるだろ。シルクロードのロマンただよう沙漠のような頭だとか、フロンティア精神をにおわせる西部の荒野みたいな頭だとか、いろいろ言いようがあるだろうに」
「遠回しに馬鹿にするほうがもっとひどいんじゃありません?」
 ふたりともカンでさとったのか、それとも単純に虫がすかなかったのか、第一印象はあまりよろしくないようだった。
 僕は極上の笑顔で嘘をついた。
「別に、どうということのないやりとりですよ。美男美女の姉弟だな、ってほめてくれたから、いえいえそちらのみなさんもたのもしそうでパーティを組む身としては心強いかぎりです、って言ったんです」
「嘘くせー。なーんか嘘くせー。ってか俺は無視かよ」
 無視されたほうがマシだったんですよと心のなかで吾妻さんにつぶやいた。
「ともあれつけ焼刃にしちゃ役に立った。こんどカジノさんに礼を言っときます」
「何、そのカジノって、もしかしてお前のバディだった人?」
「ええ。ギブアンドテイク、むこうが英語を、こっちが日本語を教えることにしたんです。教科書はラジオだけだったけど何とかなるものですね」
「へー、じゃ実質二週間で身につけたわけか。すげぇな」
「教師が熱心で有能だったんですよ。あと手前みそですけど、耳がいいのが僕の数少ない自慢のひとつ」
「ほかの自慢は?」
「顔がいいこと」
「言いきりやがったよ! こいつ言いきりやがったよ! うわゲロむかつく! ほめて損した!」
 僕と吾妻さんとの間に桜さんが疑問をはさんで来た。
「ところでバディって何だ? 話の流れからすると人のようだが……」
「あれ、桜さんはバディがいなかったんですか?」
「うん。それボディと同じ意味?」
 不安そうな顔の桜さんに僕は重々しくうなづいた。
「ええ。で、ボディの意味は体じゃなくて屍体のほうです。スティーブン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』の原題はそのまんま『ザ・ボディ』。屍体さがしの冒険でしたよね。そっちの意味です。僕らは屍体と二六時中いっしょに生活する訓練をうけていました。迷宮でパーティのメンバーが死んだときにそなえての訓練なんです。もちろん本物の屍体じゃなくて人型の砂袋ですけどね。目をさましては横にころがっているボディをベッドから引きずりおろし、朝食のときにはとなりの椅子にボディをすわらせ、訓練のときにはボディをかついでえっちらおっちら長距離走、休憩時間にはボディにむかって語りかけ……」
「な、なかなか過酷だったんだな」
「おいおい。呼吸するように嘘をつくのはやめろ。桜が信じてるじゃないか。ボディじゃなくてバディだ。屍体じゃなくて相棒だ。二人一組になって連帯責任で訓練するシステムだよ。今期の侍は桜ひとりしかいなかったからペアのつくりようがなかったんだろ」
 吾妻さんが訂正したのを聞いて桜さんの僕を見る目が思いなしかつりあがった。
「いやいや桜さんは笑っているときがいちばんきれいですよ?」
「そんな言いぐさは十年はやい」
 桜さんに頬をつねられた。
「痛いいたいいたひ」
「で、そのカジノさんアメリカ人? ラスベガス出身?」
「ハワイのオアフ島ですよ。日系四世なんです」
 僕は桜さんの洗濯バサミの刑からのがれ、吾妻さんのいまいちな冗談に対してコップの水滴をつかって人差指でテーブルに梶野と書いた。
「ふーん。それだけたててば日本語も忘れてしまったのか」
「いやむしろ完全な形でつたえてて、それがまずかったんです。百年前にひいおじいさんが故郷をでたときそのままの会津辯を連発するものだから来日して日本語をしゃべるたびに変な顔をされるかかげで笑われるかしてずいぶんへこんだそうです。本人は日本人の血がかなりうすまって金髪碧眼なものだからなおさらギャップがひどくて。事情を知ってからは本人もふっきれて自分からネタにするようになったそうですけど、やっぱり標準語も使えるようになっておいたほうがいいと考えてて、それで僕とおたがいの母国語を教えあうように」
 それから僕はカジノさんから聞いた失敗談を本人に傷がつかないように面白おかしく語り、桜さんはエリートクラスの特殊な訓練のもようを淡々と語り、吾妻さんは馬鹿話を馬鹿っぽく語った。料理をつぎつぎに注文し、腰をすえて楽しんだ。こんなに楽しい食事は初めてだった。涙が出そうになった。
 気分も腹もじゅうぶんに満足したところで僕たちはわかれた。僕は冒険者専用の無料宿泊施設で一晩をすごすことにした。せまい部屋とくさい寝床とまずい飯とのせいで馬小屋の俗称をたてまつられるほどに劣悪なサービスをほこっており、実際に体験してみるとその評価はまったく正しかったと悲しみとともに納得させられ、自分の選択をちょっとだけ後悔させられたけど、それでもタダという要素はいまの僕には非常に魅力的だった。冒険者の卵には準備金として十五万円程度の金額が支給されるからもうすこしマシな宿をえらべたけれど、準備金をのぞけば無一文にちかいのだから贅沢はゆるされなかった。冒険者としてやってゆく自信がつけばいずれ適当なアパートを借りようとふとんのなかで考えているうちに綿のようにくたびれきった体が地面にすいこまれるような感覚とともに眠りにおちた。




Arcadia -私家版Wizardry- #03 “Suburb” 

 サイレンが鳴った。柱時計の針は十二時をさしていた。
 訓練場から退場する。やっぱり違和感があった。五感がにぶる。四肢に鉛がつめこまれたみたいだ。体の調子がもとどおりになっただけだということは頭で理解できるのだけれど、どうも貧弱になったような気がしてしまう。なれるには時間がかかりそうだ。桜さんも吾妻さんも平気な顔をしていた。僕とはものがちがうらしかった。
 四十分の休憩ということになった。休憩につぐ休憩という感じだ。志願者たちに昼食がくばられる。箸のつかえない外国人のことを考慮にいれてのことなのかメニューはホットドッグとコカコーラだった。三人で雑談しながら弁当をつかうことにした。口火をひらいたのはやはり吾妻さんだった。
「で、おまえらはどんな職業につくつもりなんだ? 魔法使いだと俺とダブるからちょっとは考えてくれよ」
「特に、これといって志望はないんですよ」と僕はこたえた。「まずは試験にうかるかどうかってところです。桜さんは?」
「私は戦士かな。実家が古流剣術をつたえているから少しは役にたつかも知れない」
 そう言った桜さんの背すじはまっすぐにのびていた。思いかえせば、桜さんは最初の出あいからずっと目を正面にすえていた気がする。武道をならっていると言われてもすぐに納得できるような立居振舞だった。こちらの姿勢まで正しくさせてしまうような雰囲気をあたりにかもしだしていた。
「じゃ、桜の実家は神社か何かか?」
「そうですけど、よくわか……」
「すげ……! すっげ! 巫女さんキャラが目の前にいるよ!」
 質問のこたえに吾妻さんがのけぞりながらさけんだ。桜さんの目がひえた。安物の合成飼料をがっつく豚を見る目だ。
「なんで桜さんの実家がわかったんですか?」
「半分はあてずっぽうだよ。日本の剣術のおおもとは神社だろう。たとえば塚原卜伝は鹿島神宮神官の出だ。
 それと桜がさっき“つたえている”と言ったからには家とのむすびつきはそれなりに強いと思った。そういうわけで神職の可能性はそう低くないとふんだんだ。そして最後に」
 最後に? 僕と桜さんの視線での問いに吾妻さんはこたえた。
「そのほうが萌えるじゃないか」
 桜さんの吾妻さんを見る目がすこしかわった。家畜としての境遇に満足しきっている豚を見る目だ。

 休憩ののち、ふたたび訓練場に集合した。仮設テントの長椅子のうえにはアンケート用紙のようなプリントが人数分おかれていた。日本語と英語とが併記されていた。
 司会者が演壇にあがった。背丈は僕とおなじくらいだろうか、そんなに高くはなさそうだった。歳は四十がらみ。髪を七三にわけて眼鏡をかけていた。やや丸顔で、柔和ではあるが特に意味のなさそうなアルカイックスマイルをうかべていた。外国人がカリカチュアライズして想像する日本人サラリーマンそのものといった感じだった。胸もとの名札には椎名としるされていた。
「これからみなさんにいくつかのアンケートに答えていただきます。参加者の性格をきめるための心理テストです。質問の内容はどこででも見られるような性格診断ですから心配いりません」
 つぎに英語で何か言っている。たぶんおなじ内容をくりかえしているのだろう。性格診断をする必要なんてあるものなのかといぶかっていると、それを見こしたかのような解説をはじめた。僕とおなじような疑問をぶつけられることになれているのだろう。
「魔物は時には友好的な対応をしてきます」
 なかなか奇想天外なことを言いだした。まわりから笑声がとぶ。
「友好的とは申しましたが、別に魔物が諸手をあげてやあやあ本日はお日がらもよくと親しげに話しかけてくるわけではありません。魔物は自分の腹ぐあいや我々の戦闘力などを勘案して、ばあいによっては冒険者が目にみえる距離までちかづいてもあえて手を出して来ないときがあるのです。友好的な対応とはそういうことです。
 そんなとき、戦うかどうかの選択権は冒険者のがわにうつります。無用な殺生はさけるか、目についた敵は確実にしとめるか、それともどちらでもいいか。迷宮でいちいちその判断をくだしていたのでは性格のちがうメンバーの主張のせいでパーティが分裂してしまうし、その果てには全滅の危険性さえあります。だから最初に性格を分類しておき、相反する性格の人間とは組ませない。このアンケートは無用なトラブルをさけるためのものです。
 なお性格には善と悪、そして中立とがあります。善と悪とは性格がちがうのでパーティの編成は許可しません。中立は善悪どちらと組んでもけっこうです」
 善悪と申しましたがこれはあくまで分類上の呼称であってこれがそのまま人としての本性を決定するものではありません、と最後につけくわえた。
 あとで聞いた話だが、さすがに悪にカテゴライズされた人たちは愉快ではなかったらしい。定義づけが必要なのはみとめる、しかしせめて善悪というよびかたはかえろと何度も抗議したそうだ。自分のつごうでさわぎをおこせるあたり、たしかに悪だと納得した。
 とにかくアンケートにとりかかった。文章が青白く発光していることと、YesかNoかにチェックしたはしからその文章が消えてゆく点がありふれたアンケートとはちがっていた。これが魔法かと感心しないでもななかった。しかしそれ以上に無意味なこけおどしだという印象が強かった。最後の質問の回答をすませると用紙からすべてての文字が消え、やがて中立――Neutral――という二つの単語がうかびあがってきた。
 見ると桜さんも吾妻さんも中立だった。ほかの人たちとパーティを編成するときには融通がききそうだ。
 司会者が職業の説明にうつった。
「ご存知のかたも多いでしょうが、冒険者のかたがたには八つの職業のいずれかについていただきます。そのうちの四つの上級職については、このばあいあまり意味がないので省略して基本職についてだけ説明させていただきます。
 戦士、魔法使い、僧侶、盗賊。この四つが基本職です。戦士は物理的な攻撃やパーティの壁をつとめます。魔法使いと僧侶はそれぞれ魔法による攻撃と補助をおこないます。盗賊はすこし特殊で、魔物たちがかくしもっている宝物を安全に入手するという仕事があります。
 冒険者のかたがたは迷宮ではパーティを組みます。だいたい六人一組で、前衛と後衛とにわかれています。前者を戦士が、後者を魔法使いと僧侶がつとめます。盗賊はふつうなら後衛なのですが、パーティの事情によっては前衛に配されるばあいもあります。
 ここで銘記していただきたいのですが、パーティの強さは総合力にあります。戦士だけとか、魔法使いばかりのパーティは自殺志願者の集団とかわりがありません。バランスが重要なのですね。戦士二人、魔法使い一人、僧侶一人、盗賊一人。この五人が基本でしょう。戦士をふやすかそれとも魔法使いかは好みによるのでしょうが」

 一時になった。ようやく本格的な審査がはじまる。
 志願者たちに装備品のひとそろいがくばられてゆく。その内訳は半球形の鉄製の帽子、やたらポケットがぬいつけられた迷彩チョッキ、四つのポーチがくっついたサスペンダー、パンパンにふくらんだリュックサックだった。どれもこれもじゅうぶん以上につかいこまれていた。あちこち塗装ははげているし、ほころびも目だった。しかしかなりじょうぶなつくりをしているらしく、乱暴なあつかいにもたえられそうだった。僕らは指導員の説明にしたがってそれらを身につけていった。見た目よりもずっと重かった。ポケットの中をのぞいて見たら、ごていねいなことに鉛の棒がぎっしりとつめこまれていた。体だけでなく心まで重くなりそうだった。ポーチやリュックサックは推して知るべし。総重量は50キロだそうだ。その場につっぷしてしまいそうになった。
 司会者が壇上から説明しはじめた。
「まずはみなさんの基礎体力とマナの相性を調べさせていただきます。訓練場の周囲でマラソンをしてください。きっかり一時間、足をとめればその場で失格ですから注意してくださいね。ああ、もちろんさっきくばった装備品はのこらず身につけておくように」
 こりゃ死ぬなと観念した。
 僕のうしろから椅子が倒れる音がした。見ると知らない志願者が立ち上がってクレイジーとかガッデムとかシットとかファッキンとかブルシットとかマザーファッカーとかいったすてきな英単語を連発していた。浅黒い肌をしたちぢれ毛の外人だった。図体は縦にも横にも大きかった。装備をかなぐり捨てながら罵倒をつづけていたけれど司会者がだまったままでいるので侮蔑したような顔で彼につめよっていった。演壇にあがりこみ、はきちらす唾が相手の顔にかかるほどに近づいた。ならぶと大人と子どものようだった。司会者はにこやかな笑顔をうかべながら相手の肩に左手をおき、あいた右手で強烈なボディブローをおみまいした。外人の足もとが十センチはうきあがった。腹回りのぶ厚い筋肉と脂肪がなければ内臓が破裂していてもおかしくないような一撃だった。司会者はあいかわらず笑みをたやさない。そして泡をふいてくずおれた外人をかたづけるように指示をくだした。
「えー、はからずもマナのききめを実演することになりました。見てのとおり、私の体型は同年代の一般人のそれとかわりません。格闘技もやっていませんし、冒険者の試験をパスしたわけでもありません。ただこの訓練場に顔をだす機会が多かっただけですが、それでもさっきみたいな力を発揮できます。
 あと元気がいいのは結構ですが、司会の進行をさまたげるような行為はご遠慮ねがいます。
 それではマラソンをはじめてもらいます。質問があったらいつでもきいてくださいね」
 質問はなかった。あるはずもなかった。司会者はなんだか物足りないような顔をした。

 長距離走が始まった。しかし走り出してすぐに身体がかるくなっていった。ランナーズ・ハイではなさそうだ。どれだけたっても疲労をほとんど感じない。マナとはべんりなものだと感心したし、同時にさっきの名前も知らない外人さんは殴られ損だったなと同情した。
 まわりを見回してみると、脱落者は少なくなかった。吾妻さんはマイペースに走っている。桜さんはどうだろうと探していると、うしろから追いぬかれた。その顔には汗ひとつうかんでいなかった。とてもかないそうになかった。
 周回数の多さで順位がきまった。トップは桜さんだった。参加者たちはどよめいたが試験官たちは涼しい顔をしていた。これくらいだと迷宮都市では非常識のうちにも入らないのだろうか。ちなみに僕はだいたいまんなか。吾妻さんはうしろからかぞえたほうが早かった。
 つぎの審査からは順位ごとにわかれることになった。遠投、握力と背筋の測定、100m走の順番だった。どれもこれも自己新を記録するどころか世界レコードを更新してしまいそうないきおいだった。最後の100m走で10秒を切ってしまったときにはもう笑うしかなかった。
 つぎはマナの運用のセンスについての査定をうけることになった。内郭に隣接した建物に案内された。中世ヨーロッパの神殿を聯想させるその外観には漠然とした不安感と昂揚感とを同時に覚えた。構内の一へやにすすんだ。粛然と身がひきしまるような神秘的な空間だった。中央に靄のような球体がわだかまっている。マナを媒介にしたエネルギーのゆらぎだと説明された。無色透明だったがそのむこうの背景は不自然にゆがんでいた。
 志願者にスケッチの用具がくばられた。写生しろとのことだった。最初はただの靄にしか見えなかったが、仔細に観察しているうちに変化が生じた。陽光をあびた油膜のように色がつき始め、やがて青紫のような色調で固定した。その色にも濃淡のちがいが見うけられた。エネルギーの流れというやつだろうか。とにかく見たままに描きあげた。
 つぎにマナをあやつる段階にうつった。順番に手で触れるように命ぜられた。この靄を拡大、縮小しろという。頭のなかでイメージすればかんたんだとアドバイスされた。ほんとうだろうか。だれもがおそるおそる手をのばしていった。まるで変化がないばあいもあれば、へや全体にまでひろがったりゴマ粒ひとつくらいにちぢんだりしたばあいもあった。
 僕に順番がまわってきた。無造作にふれる。流れる温水プールに手をつっこんだような感じだった。拡大。縮小。基準はよくわからないが、前の人たちから判断すれば可もなく不可もなくといった成績だと思う。
 そのあとは大べやに移動した。学校の教室のようだった。席について筆記試験を始めた。知識よりも知能を要求される内容だった。1,1,2,3,5,8,13,a,34,……のaを求めよ、といったぐあいの問題が多かった(これはフィボナッチ数列といって黄金比に関係する数列だと後で吾妻さんが教えてくれた。なんでもよく知っている人だ)。
 解答用紙が回収されるとつぎは正面の壁に地図がはりだされ、記憶しろと言われた。三分たって地図がはがされ、白紙がくばられた。さっきの地図をできるだけ正確にうつせと命ぜられた。こんどは記憶力のテストだろうとあて推量しながら描いた。
 これで試験はすべて終了したことになる。外に出るとすでに薄暗かった。試験会場にもどってぜんぶの項目がうめられた採点表を提出した。担当の面接官がたいしたもんだと口笛を吹いた。
「君はバランスがいい。三つの職業から好きなのをえらべる。性格が中立じゃなかったら僧侶にもなれたぜ」
「器用貧乏ってことですか」
「おいおい。そのうちひとつにもなれずに帰ってゆくやつだっておおぜいいるんだぞ」
「はあ。ところで戦士か魔法使いか盗賊か、でしたか」
「そうさ。採点表を見ればどうやら戦士が適任のようだ」
 僕がどの職業に適しているかどうかはあまり問題ではない。パーティの強さは総合力なのだから。そして桜さんは戦士を、吾妻さんは魔法使いを志望している。だったら僕の選択はきまっている。
「盗賊を」
 面接官はなにか言いたそうな顔をしたが、結局だまった。
 なんにせよ冒険者としての適正試験には合格できたわけだ。これから先の二週間は訓練学校でのシゴキがまっている。もれ聞くところの過酷な訓練を想像して気を重くしていると、試験官たちが奥でかたまって小声でささやきあっていた。その表情から、トラブルではないちょっとしたニュースを受け取ったとわかる。
「なにかあったんですか?」
「侍だよ」と、僕の担当だった試験官がおしえてくれた。「今回、エリートクラスに合格した志願者がひとりいたんだ。これで侍は五人目だ。一人は死んでもう一人はここから去っていったから、つごう三人になったってことだ。しかもおどろくなよ、そいつは女だってんだ。名前は知らないが……」
「ナンバー445、ですか」
「ん? ……ああ、当たりだ。知りあいか?」
「ええ」
 侍というのは聞いたことがない。たぶん司会者が説明をはぶいた四つの上級職のうちのどれかなのだろう。なんだかすごいらしいことだけは見当がつく。
 どうやら僕が組んだ人は並じゃないらしい。




Arcadia -私家版Wizardry- #02 “Cherry Blossom” 

 時代錯誤な感じのある巨大な門がものものしい響きをあげながらひらいていった。そのすき間からのぞく迷宮都市は、これといって特別な印象を与えるものではなかった。そこらのありふれた地方都市とそうかわらない町なみのようだった。桜並木の奥に遠望できる隔壁をのぞけばの話だけれど。
 ぼんやりしていると後ろからどやされた。われにかえると前方の列がとっくにうごきだしていた。あわてて門をくぐる。内部は思ったよりも奥行きがあった。採光に意を用いていないのか、やや薄暗かった。
 ざわめきのなか、受付にすすんで身分証明書や履歴書やその他もろもろの書類を提出した。年寄の係員は僕の顔にしばらく視線を止めてから年齢をきいてきた。またかと思いながら十五と答えた。こんな子どもの名前まで石碑にきざまれることになるのかね、とよくわからないことをつぶやいた。しわの影が濃くなったような気がした。しばらくこちらを凝視したすえ、僕のうしろの列を見やってから書類に目をとおしはじめた。十秒とたたずに確認をしおえて都市内にはいるように僕をうながした。
 志願者のむれにまじって構内から出た。春の日ざしに目をほそめていると、出口の両側の死角からレポーターらが電子機材をかかえてこちらへ駆けよってきた。たちまち前がつかえてまわりの罵声交じりのざわめきが耳ざわりになるまでに大きくなった。それでもむこうは道をゆずる気配をみせなかった。
 かかわりあいになりたくないのでうつむきかげんに雑踏をすりぬけて脱出するつもりだった。が、むこうも商売なので見のがしてはくれなかった。かれらのうちの一組がとおせんぼするように進路をふさいで僕へマイクをつきだしてきた。なんでよりにもよって僕なんだ。まわりにはこんなに志願者がたくさんいるのに。
 君も殺し屋志願なのですか、が第一声だった。
「なぜわざわざ平和にくらしている生きものたちの世界に土足でふみこもうというんですか?」
 あなたたちのほうこそ他人のプライバシーに土足でふみこんでいる、とは言わないことにする。
「たしかに迷宮では大金がかせげます。仕事熱心なら月100万も夢ではないそうですから。でもわれわれに迷惑をかけるわけでもない生きものを殺して、そこまでしていったい何を得ようというんですか?
 ……だまっていちゃわからないよ。こちらには知る権利があるんだからね」
 だったら僕は黙秘権を行使します。
 僕がむこうの望みどおりの答えを言わないからか、それとも僕の年かっこうを見てのことなのか、その口調はしだいにぞんざいなものにかわっていった。僕は僕で口をひらけばどんなことばが飛びだすか自分にもわからなかったので馬鹿を演ずることにした。質問の意味も理解できないというようなあいまいなうすら笑いをうかべ、すこしこまったような色をはさむ。
 それでもむこうはこっちの意図を知ってか知らずか、なかなか解放してくれそうになかった。そろそろほんとうにこまりかけてきた。どうやって切りぬけようかと頭をなやませはじめていると、
「悪い、またせた!」
とうしろから女性の声がとんできてすぐに左腕をとられて強引にひっぱられた。そのまま抗議するひまもなく早足でつれてゆかれる。レポーターたちも突然の事態にあっけにとられて僕らを追いかけようという気もおきないらしかった。
 ひとごみからぬけでてからもしばらく歩みをとめず、僕は目のまえでゆれるポニーテールをながめているしかなかった。正門からじゅうぶんに距離をとると、彼女は急に立ち止まってからくるりとこちらをふりかえった。ちょっとおどろいた。面識はなく、そして面識がないことがくやまれるような容姿をしていた。
 こちらを興味ぶかそうに観察している目は描いたようにくっきりしていた。高い鼻もかたちのいい唇も意志の強さを感じさせた。それらがするどさを思わせる寸前で女性らしい丸みにくるまれていた。凜とした、という形容がぴったりくる美人だった。視線をあわせるのにちょっと見上げなければいけないから身長は170を超えているだろう。歳は若い。どう見つもっても僕より二つ三つ上なくらいだ。
 そんな人がバッグをつきだしてきた。こちらは見おぼえがある。というか、僕のだ。まのぬけたことに、そこではじめて肩のかるさに気づいた。
「受付の足もとに置きわすれていたぞ。で、とどけてやろうと思ったら持主は門を出てすぐのところでつかまっていた。迷惑そうだったから知りあいのふりをして連れだしたんだけれど、よけいな御節介だったかな」
「とんでもない、助かりました」
「ならよかった」
 ちょっとしたやりとりのあと、なんとなく二人で連れだって歩くことになった。よこにならぶと僕の背のひくさがはっきりわかる。むりに背すじをのばしてみても、むこうは見ていて気持がよくなるくらい姿勢がいいので、その高さにはとうていとどかない。僕がそういう対抗心を燃やしているとは露知らず、むこうは気楽にたずねてきた。
「ところで君は、マスコミとかきらいなのか」
「きらいというより苦手なんです。できればお近づきになりたくない人たちですね」
「だったらはっきり主張するべきだ。笑ってたりだまってたりでは何もかわらないぞ」
 難詰するというよりはたしなめるというような響きだった。はあ、と生返事するしかない。するとむこうはまったくしかたがないというふうに眉をひそめた。
「だいたい君はいくつなんだ。十五か、十六か? とにかくこんなところにひとりで来るような歳ではないだろう」
 今日はよくよく歳をきかれる日だ、とあきれながらもすなおに答えた。
「十五歳です」
「やっぱり」
「そう言うそっちはどうなんですか。見たところ、僕とそんなにちがわないみたいですけど」
「来月で十八になる。しかし私のばあいはいい」
 理不尽だ。と思ったが、僕への忠告は好意で言ってくれているのだろうから口にするのはやめた。
「そもそも君は迷宮都市に何かつてでもあるのか」
「それがぜんぜん」
「そんなことだろうと思った」
と彼女はやれやれとばかりにかるくため息をついた。どうやらこの人の値ぶみだと僕はずいぶんな安物らしい。すると一転して明るい表情になってからこう言った。
「これも何かの縁だ。実をいうと私にも仲間のあてはない。もしふたりとも合格したら、いっしょにパーティを組まないか?」
「ええ。悪くない、いえ、ねがってもないお誘いです」
「きまりだな。それに君みたいな子どもにはだれかがついててやらないと」
 第一印象がまずかったせいか、どうも子どもあつかいされてばかりいる。
「ならここで自己紹介しておきます。僕は南野仁。苗字でも名前でも、好きなようによんでください」
「では、仁とよぼう。シンプルだが君ににあったいい名前だ」
 そう言って笑った。こんなにきれいな笑顔を見るのははじめてだった。思わず胸が熱くなる。
 ……オーケー。表情には出ていない。ポーカーフェイスには自信がある。
「そいつは光栄ですね。感激の涙で溺死してしまいそうです」
「すなおに喜んでくれないかな。本音なのだから」
「こっちも本音ですよ。で、そちらの名前は?」
 急にぶすっとだまりこんだ。ややあって「さくらだ」と小さく答えた。なにが気にいらないのかと思った。むしろ桜咲く並木道での自己紹介としてはできすぎなほどにいい名前だと思った。そのことを口に出してフォローもしたけど反応はかえってこなかった。結果、二人してだまりこくることになり、歩いているうちに内郭に到着した。
 まえにも言ったが、この都市は二重の隔壁がある。外壁と内郭だ。それぞれ外部からと内部からの市街地への侵入をふせぐために建設されている。外壁は不法入国者から、そして目のまえの内郭は魔物からだ。
 迷宮都市をあつかった報道番組などではこの点がしばしば問題視される。外国人と化物を同列にあつかうのはいかがなものであろうか、“機構”のエゴイズムを批難するべきではないか、という論調が大勢をしめている。
 内郭にもやはり城門が設置されており、それを二基の尖塔がはさんでいる。その頂上には機関砲や対物ライフルがそなえつけられてその銃口を迷宮に向けていると聞いた。
 門のすぐそばの受付に進んで書類をさしだした。かわりに一枚の誓約書がさしだされた。試験中には何がおきてもいっさいの責任をおわないという内容だった。まるで傭兵の訓練キャンプだなと思いながらサインした。誓約書をかえすと番号札がつきだされた。のぞきこんできた桜さんが顔をしかめる。ナンバー444。縁起の悪さがフィーバーだ。
 内郭の門をくぐりぬけた。とたんに違和感をおぼえた。身体がうきたつような感じがするけど、同時に腹のそこに異物がたまってゆくようにも感じる。まわりを見わたすと、目もとをほぐしていたりしゃがみこんでいたり壁によりかかっていたりしている人たちが見うけられた。彼らの姿にしても、不自然に鮮明になったようで、そのくせなにを意味しているのかうまく理解できない。経験はないが、酒をのんだり麻薬をうったりすればこんな感じになるのだろうか。気分がいいのか悪いのか、それすらよくわからなかった。
「ふむ。これがマナか」
 隣から聞こえた。桜さんの声なのだろうが、別人の声のようにもひびいた。頭の奥がぼんやりしているのを自覚しながら仮設テントのベンチにすわりこんだ。身体から力をぬいて深呼吸をくりかえす。しだいに本調子にもどってくる感じがした。
 左から紙コップがさしだされた。だまってうけとって空にした。つめたさが胃にしみこんでゆく。ようやくひとごこちがついた。視線をおくって、お礼のことばがのどにつまった。相手は桜さんではなくて見知らぬ男の人だった。頬骨が目立つ、やせぎすの顔立ちだった。ことわりもいれずに隣にすわってしまったらしい。桜さんは右手にいた。
 失礼しました、と頭をさげると相手は手をひらひらとふった。
「気にするな、水はタダだ。それにマナにあてられればたいていのヤツは前後不覚になるらしいからな」
「マナ」
 さっきも聞いたことばだった。
「そうさ。ここに来るくらいだから知ってるだろ?」
「魔法の粒子みたいなものですね」
「ああ、だいたいそんなところだ」
「元気になったみたいだな」と桜さんが僕らの話のあいだにはいってきた。
 誰だこのすげぇ美人、紹介しろよと男の人につつかれた。痛い。

 相手は吾妻翼と名のった。歳はちょうど二十歳だという。どうやら迷宮についていろいろくわしいらしいのでマナについての講義を拝聴することにした。
「暇つぶしにはちょうどいいだろう。なんせ三十分はすわってなくちゃならないからな。といってもこれは休憩じゃなくて適性検査のうちだけどさ。さっき気分が悪くなってただろ? むしろ結構なことなんだぜ。身体がマナに反応している証拠だからな。と言ってもぶったおれたり逃げだしたりしたらアウトだけど。俺やそっちの桜みたいに不感症だと、よっぽどマナと相性がいいのか、さもなきゃまるで縁がないかのどちらかだ。もちろん前者であってほしいがね。
 マナについてのくわしいことは俺も知らない。なんせその代名詞からして、さっきお前が言ったように“魔法の粒子”ときている。質量がゼロだとか物理的な干渉をうけつけないとか絶対座標に固定されているとか、なんだか知らんがとにかく一般人には見当のつかないような性質をいくつももっている。俺みたいな文系にはお手上げだ。もっとも、冒険者にとって重要なのはマナがどんなふうに役にたつかってだけだ。むつかしいことは科学者にまかせとけばいい。
 マナを媒介にすればいろんな非常識の実現が可能だっていう。その代表は、知っているだろうが魔法だ。炎をおこしたり冷気をよんだり傷をなおしたり光をだしたりといろんな奇蹟がお手軽にポンだ。奇蹟といっても神様への信仰なんて必要ないけどな。
 俺が迷宮都市に来た理由がそれだ。魔法だぜ魔法。神話や伝説にしか登場しないようなデタラメがこの手でおこせるかも知れないってんだから、なにをおいても飛んでゆかなきゃウソってもんだろ。てなわけで俺の志望の職業はもちろん魔法使いだ。こらそこ、意外とセンチメンタルとかぬかすな。
 マナの利用方法は魔法だけじゃない。うまくすれば超人みたいな力が手にはいる。訓練学校を卒業すればろくすっぽ陸上の練習をしなくても100mで8秒を切れるらしい。まともな短距離走者にしてみればやってられないだろうが、まあそれも訓練場と迷宮内に限定されているんだから、そのへんはお目こぼしねがおう。
 だけどめんどうなことに迷宮の化物どももマナの恩恵にあずかっている。上層はともかく、いまんとこ確認されている最下層――たしか地下四階だったな――を徘徊している大蜘蛛や甲虫のスピードははんぱじゃない。大型バイクなみだって聞いたぜ。
 え? 魔物たちはもともと地下に棲息していたって説を聞いた? 冗談はよしてくれ。そんなことは絶対にありえない。なぜって、たとえばさっきの虫どもの話になるんだけど、連中のサイズは子牛ほどもある。けど、そこまで大きくなると虫の細い足だと自重をささえきれなくなるんだ。地球の何分の一かの重力か、マナが充満した環境か。どちらにせよ、地球とはちがった環境でそだった化物だよ。八年前のトレボー彗星の衝突でどこかの異世界とつながったっていうファンタジーのほうがまだしも説得力があると思うね。
 マナの発信源についてだが、たぶん地下深くだろうとしかいえない。こいつはマナの濃度に関係がある。地上でマナが確認できるのはこの訓練場だけだ。そして地下におりるにつれてその濃度は高くなってゆく。学者たちの計算によれば、だいたい地下十階くらいの深さにあるらしい。ちなみにマナの発信源はワードナの魔除というアイテムだってうわさがあるんだが、まあ眉唾だ。うわさの出どころからして不明だし、その魔除とやらを見たやつがいるわけでもないからな。
 そうそう。うえからながめると、迷宮都市はちょうどバウムクーヘンみたいな形をしている。そのドまんなかが迷宮への入口で、そこを中心にした直径およそ一キロの円の範囲内が俺たちの今いる訓練場だ。バウムクーヘンの穴の部分だな。実の部分は市街地だ。ちなみにこの訓練場は郊外とか町外れとかとも言われる。内部でありながら外部、中央でありながら辺境ってわけだ。エリアーデもびっくりのセンスだよ。
 とにかく、マナがあつかえなければその時点で冒険者としては不適格の烙印を押される。魔法もつかえず、身体能力も常人レベルのままでは化物どもにはとても太刀うちできないからな。そのへんは七年前のデルタフォースの壊滅がなによりの証拠だろう」

 けっこうながい解説だったうえに話がたびたび脱線した。しゃべるのが好きなのだろう。もっとも話しぶりはうまいし内容も興味深かったので退屈ではなかった。
 せっかくなので彼もパーティにさそってみることにした。
「んー、実を言えば先約があるんだよな」
「ダメですか?」
「どうかな。相手とは面識がないし。あ、相手ってのは現役の冒険者だ。話はさかのぼるけど、俺はここに来るまえに家庭教師のバイトをしてたんだ。で、一年まえに担当した生徒のひとりが俺よりも年上だったけど、これがもと冒険者だったってわけ。しかも一期生、つまり民間人が迷宮探索に参加できるようになった時期からのはえぬきときた。迷宮の探索で小金がたまったはいいものの、特にすることがない。そこで高卒だったから暇つぶしに大学を受験するんだとさ。俺としてはさっきも言ったように魔法にはもともと興味もあったから、勉強のあいまにいろいろと教えてもらったんだ。さっきいろいろくっちゃべってたのは、ほとんどその人からの受売りさ。どっちが生徒かわかりゃしないな。とにかくその人が大学に合格して、それをしおに俺は休学してここに来たんだ。あ、これは脱線じゃないぞ。ちゃんと話はつながっているんだ。五百島さん、もと冒険者で俺の生徒兼教師だけど、この人から迷宮都市で組んでいた仲間を紹介されたんだ。別れるときのパーティは四人構成だったらしい。つまり三人が迷宮都市に残ったんだな。それきり連絡していないそうだから、その三人が今でも迷宮都市にいるかどうかもわからないんだけど」
 どうにも頼りない話だった。
「試験をパスしたらギルガメッシュの酒場、ああその人たちのたまり場のことだけど、そこに顔を出してみるつもりさ。いたら御の字、いなくてもしかたなし。ついでに言えばパーティのメンバーはわりと流動的らしい。そもそも六人一組が常識だからな。もしその人たちがまだ冒険者稼業をつづけていたとして、うまくゆけばお前たちをふくめて三人ともパーティに参加できるかも知れないけど、もしかしたら俺ひとりでもはじかれるかも知れない。そんなわけだからはっきりしたことは言えないよ」




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